2004年10月28日
体育館では眠れない
余震続く新潟中越地震で被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げたい。
現地に飛んで力になれぬ我が身だが、こうして被災地にいない、被災者でない人間にとっては、災害と戦うということは結局「想像力」の戦いだ。朝日新聞が今日付けで掲載した社説は、私を含めた読者が「想像力」を及ぼすことができなかった現実に光を当ててくれた。一部を引用する。
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2004年10月28日
余震続く新潟中越地震で被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げたい。
現地に飛んで力になれぬ我が身だが、こうして被災地にいない、被災者でない人間にとっては、災害と戦うということは結局「想像力」の戦いだ。朝日新聞が今日付けで掲載した社説は、私を含めた読者が「想像力」を及ぼすことができなかった現実に光を当ててくれた。一部を引用する。
大学時代には「カレ~」なんて言いながら唇を拭っていたF女史(ここを訪れる人の99%には意味不明だろうけど)が今や一児の母なのである。まったく時が過ぎるのは早い。すっかり母親業が板についてきたF女史(ていうか結婚後はI女史なんだが)が「育児日記」にいわく
ああそれにしても・・
地震のショックで乳児が死亡するなんて。
阪神大震災の時にも,聞いたことはあったのだけど。
あんまりだよ。そういうのは,なしにしようよ。そういう設定は。神様。
昨日の地震時の自分のへたれ具合にもへこんでいたのだが,このニュースを聞いて以来,もう今日は浮き上がれない感じだ。
私がへこんでどうなる話でもないが・・・
2004年10月27日
午前6時30分に起床して、午前中に取材を2件。昼食挟んで、午後は打ち合わせやら会議やら売り込みへの対応やら労組の職討やら。で、ようやく20分ほどフリータイムができた。9時30分からまた会議ですよ親分。
で、その隙に、Movable Type をアップグレード。うまくいったからしらん。試験を兼ねて書き込んでみる。予約投稿機能が使えるようになると便利なんだが、はたしてうまくいくかな。
くそ。26日は目が回るほど忙しくてここを更新できなかった。10月中は日刊ペースという野望が脆くも崩れ去ってしまった。夢中になっている間は異様な集中力と執着を見せるが、いざそれが途切れると、今度はそれを見るのも嫌になるという、直さなくちゃ(治す、か?この場合)と思っている我が悪癖が、またぞろ首をもたげるのである。“可愛さ余って嫌悪感百倍症候群”と名づける。昨日電話したM女史も同じ宿痾をお持ちとのこと。
2004年10月25日
雑誌の取材で上石神井へ。ホームの真横に踏み切りがあって、にぎやかな商店街に直結する“私鉄駅”の典型だ。駅前の「マクドナルド」で後輩記者を待ってお茶を飲んでいると、どこかで見た顔が横に。「あ。Yじゃないか」。
驚いた。中学時代の同級生だった。聞けば、上石神井にあるIT系ベンチャー某社で開発に携わっているという。長い黒髪を無造作に束ねてはいたが、長身を際立たせるストライプ入りの黒いパンツスーツがよく似合っていた。「女だてらにIT技術者なのよ」と、チキンマックナゲットを頬張りながら笑った。
糞くだらぬことで笑い合った旧友と再開し、昔話をすることほど楽しいことはない。今週中に再開を祝して飲むことになった。
2004年10月24日
2005年秋、1年後の開通を目指して「つくばエクスプレス(常磐新線)」の開通工事が急ピッチで進んでいる。秋葉原を基点として、常磐線を右手にやや西方を北上し、つくば市に向かうこの新しい鉄道路線の経路は、明治時代に計画されたものの反対運動で頓挫した“幻の常磐線”の経路とほぼ一致している。
2004年10月23日
2004年10月22日
登別温泉クマ牧場のヒグマ。餌をねだって立ち上がったり、手を振る飼い慣らされたクマたちを見ていてちょっと悲しい気分に浸っていたところで、この卑猥なまでのポーズで一目を引くクマを発見(一目を引くと、餌を投げてもらえるから)。ちょっと遠い写真だが、両手で両足をかぱっと開いて開脚している。腹を抱えて笑った。
2004年10月21日
バリケードで封鎖され、学生たちが立て篭もった“安田砦”――東大安田講堂は、1969年に“落城”した。
大多数の“団塊の世代”の若者たちの学生運動は、安田講堂の陥落に象徴される敗北をもって終焉した。その5年後、1975年にバンバンは、この“時代の断絶”を「『いちご白書』をもう一度」で歌った(作詞、作曲は荒井由美)。
MT4i(改)を導入したので、携帯電話のブラウザーで閲覧しやすい画面を生成できるようになった。携帯電話でこのサイトを閲覧する場合は、http://jogo.s81.xrea.com/mt4i.cgiにアクセスされたい。ま、そんな奇特な人賀がそれほどいるとは思えないが。
Movable type 3.1に近々、アップグレードする予定。予定投稿機能が使えるのがイイ。
2004年10月20日
60年代という未曾有の成長期を一〇代の青春期で過ごした団塊の世代と、フィリピン戦線で九死に一生を得た中内功率いるダイエーが始めた牛肉の安売り。この二者を直接結びつけるひとつの象徴が、すき焼きという料理だったということを前稿で書いた。
好景気を背景に急速な経済成長を戦中派が牽引する一方、“団塊の世代”は政治の季節に突入していく。60年代前半に青春歌謡を聴いて、母親が「主婦の店」で買ってきた牛肉を使って年に何度が作るすき焼きを食べていた若者たちは、60年代後半にはゲバ棒を持ち、バリケードに立て篭もるか、歌謡曲「神田川」さながらにボロアパートで異性と同棲するようになった。
2004年10月19日
「すき焼きと『団塊の世代』」の続き。ノンフィクション作家の佐野眞一は、ダイエーの創業者、中内功の一代記「カリスマ」の中で、中内がフィリピン戦線で瀕死の重傷を負った場面で「人は死ぬ前、自分がこれまで生きてきた人生が走馬灯のように浮かぶという。中内の場合、それがスキヤキのにおいだった」と書いている。
2004年10月18日
昨日の記事「伊せ喜のどぜう鍋」で、深川高橋の老舗でどじょう鍋を食べながら、なぜか私が思ったのは「団塊の世代」のことだったと書いた。
詳しくは当該記事をご一読いただきたいが、「抜き鍋」と呼ばれる同店の“どじょうのすき焼き”ともいうべき鍋を食べながら、私は「どじょう」→「抜き鍋」→「どじょうのすき焼き」→「すき焼き」→「団塊の世代」と連想したのだった。
「どじょう」から「すき焼き」までの連想はまあ分かるとして、なぜ「すき焼き」から「団塊の世代」に発想が連なったのか。今回はそれについて書く。
2004年10月17日
16日の夜は、深川高橋にあるどじょう料理屋「伊せ喜」に足を運んだ。野趣溢れる力強い“田んぼの味”に舌鼓を打ちながら私が思ったのは、なぜかまた“団塊の世代”の問題だった。
2004年10月16日
平均睡眠時間が2時間を切りそうな勢いだったのに加えて、一昨日の晩はほぼ一睡もしていなかったので、睡眠不足が蓄積されていた。昨晩は夜の1時に寝て、今日は昼の12時過ぎに起きたから、一度も目が覚めずに11時間も寝てしまったわけだ。これは眠りが浅く、睡眠時間が短めな私にとって驚異的な睡眠時間だ。
睡眠不足は蓄積できるが、過剰睡眠が蓄積できないのが残念だ。
眠りバロメーターなるものがあれば、起きて活動しているとどんどんマイナスに振れ、活発に活動するとその幅が大きくなり、やがて一定時間が過ぎると「眠気」が襲ってくる。よく眠ることでプラス方向に振れるが、これはゼロ以上にまで増えない。
基本的に、眠りとは癒しの行為だからだろう。
2004年10月15日
拙文「ピースサインの意味(3)」にmarumoさんからこんなコメントが寄せられた。
あなたはなぜ桜井さんを呼び捨てにするのですか。そんなに偉いのですか?なんか読んでて腹が立ちました。
実は、同趣旨のご意見は、別のサイトに記事を更新しているときにも何度か頂いたことがある。
私がコメントをお返しするまえにyumyumさんからコメントが寄せられ、その内容は私が用意していた回答とほぼ同趣旨だった(感謝)。それ以上、何らお答えすることはないのだが、「さん」という敬称をつけるかどうかという問題をつらつら考えていると、ブログの文体の問題に行きついたので、今回はそれについて書く。
2004年10月14日
「富士山麓河口湖畔」でフォトレポートを掲載したはいいが、keikoさん(ご無沙汰です)から以下のようなご指摘を受けてはっと気づいた。だから写真を掲載する。
ご無沙汰してたら、こんなサイトができてたんで吃驚。いやあお元気そうで何よりです。ところで、肝心の富士山の写真がないですね(笑
撮影したのは五合目、小御嶽神社から。雲海を突き抜けた五合目(標高二三〇〇メートル)は下界の曇天が嘘のような快晴だった。
ちょっと仕事がヤマを迎えていて、睡眠時間を削っている。いつもここの原稿を書いている通勤中の電車内でも爆睡してしまった。平均睡眠時間が3時間切って久しい感じ。だからこれだけで今日の更新は勘弁して…(ダレに謝ってんだろ)
2004年10月13日
Mr.Childrenの桜井和寿が坂本龍一の「WAR AND PEACE」に寄せた詩について書いた拙文「ピースサインの意味」に対して、いくつかのコメントを頂いた。それにお答えした「ピースサインの意味(2)」を掲示したところ、さらにご意見を頂いた(ありがとうございます)。前回の記事で意を尽くしたつもりだったのでコメントでお返ししようかとも思ったが、長くなりそうなのでエントリー(記事)でお返事する。
どんな言葉も政治的である――。フランスの哲学者が残したこの言葉はけだし箴言である。この記事を書きながら、ずっとそんなことを考えていた。
2004年10月12日
Mr.Childrenのボーカリスト・桜井和寿が、坂本龍一の「WAR AND PEACE」に寄せた誌について書いた拙文「ピースサインの意味」に寄せられた、ひとりのみすちるふぁんさん、ひとよたけさんのご意見にご返答したい。まずはご意見を書き込んでいただいたことに感謝。
2004年10月11日
「山梨県小菅村の管理釣り場にでも行って、ニジマスを釣って、塩焼きにして食おう」。計画といえるものはそれだけで横浜でレンタカーを借りた。男二人で夜8時。奥多摩方面に向かうべく車を走らせようと思ったが「台風のあとだから、川は濁流と化しているのではないか」という基本的な疑義が浮上し、あえなく中止。その数時間後、なぜか2人を乗せた車は富士山麓の河口湖畔にいた。
何となく、フォトレポート。右の写真は富士山登山道にて。すっかり木々の色は秋めいていた。
2004年10月10日
難解な著作が多かった。『グラマトロジーについて』などほとんど読み進めないうちに投げ出した。読破したのはわずか一冊『エクリチュールと差異』のみで、それも歯を食いしばってページをめくるような思いをして何とか読み終えた。
2004年10月09日
TBS「ニュース23」の15周年企画で、坂本龍一(52)、「Mr.Children」桜井和寿(34)らのコラボレーションが実現した。坂本の曲「WAR AND PEACE」の日本語詩を、視聴者から募集して作成。桜井や作家の吉本ばななさん(40)もフレーズを提供し、反戦歌が仕上がった。4日放送の同番組で披露される。
ヤフーニュース経由、スポーツニッポンより引用。どうせ観ても反感しか覚えないのだろうな、と思っていたし、「タガタメ」に対して感じた反感を書いたときに、このサイトの前身に当たるサイトに寄せられた清く正しいご意見の数々に反論する気力が失せたことも思い出したのだが、やっぱり観て、やっぱり書いてしまう因果なわたくし。
2004年10月08日
白い綿地の体操服のほぼ真ん中に、鮮やかな紫色の染みができた。
当時、小学校の一年生だった私は、近所の空き地で虫を捕らえて遊んでいた。蜻蛉を追って草むらに入って、出てきたときにはお腹のあたりが鮮やかに染まっていた。
2004年10月07日
北海道の南端・襟裳岬を目指して日高山地を左手に南下する日高本線は、苫小牧から様似まで全長146.5キロメートル。「本線」の名を冠すが、一日に数本のディーゼル列車が往復するばかりのローカル線だ。
2004年10月05日
私がどんな人間かということなんて誰も興味ないと思っていたが、少数(2件)ながら、あなたは何者なのですかと問われた(メールとメッセンジャー)ので、一応最低限の情報を掲載しておく。
トップページ右段から「管理人プロフィール」をご覧あれ。予め断っておくが、大したことは書いていない。
2004年10月03日
かねてから、それぞれの記事に対する来訪者の評価を知りたいと思っていた。もちろんコメント欄に感想を書き込んでもらえればそれに越したことはないのだが、見知らぬサイトに迷い込んだ来訪者にとって、コメントを書き込むというのはやや敷居が高い。
そこでMTVoteというプラグインを導入した。
2004年10月02日
昆虫をこよなく愛するカメラマン小池聡氏から、つい先ほどメールを頂いた。ほんの半年ほど前に岩手県東和町で一緒に取材した作曲家・シンセサイザー奏者「姫神」星吉昭さんの訃報を知らせるお便りだった。(「姫神」の楽曲はここで視聴できる)
2004年10月01日
何を思ったのか自分でもよく分からないのだが、上野駅構内の書店で通勤時に読む本を物色していた私は、「翔ぶが如く」全巻をまとめて衝動的に購入してしまった。以前、やはり文庫で全巻揃えて買ったのだが、友人に貸したまま返ってきていない。それをなぜだが急に、読みたくなった。