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襟裳の遥か青い海

2004年10月07日23:13

様似行きの各駅停車は、定刻通りに苫小牧駅を出発した。

北海道の南端・襟裳岬を目指して日高山地を左手に南下する日高本線は、苫小牧から様似まで全長146.5キロメートル。「本線」の名を冠すが、一日に数本のディーゼル列車が往復するばかりのローカル線だ。

学生時代から何度かこの路線の車中の人となった。

右手に広がる海は、太平洋と言っていいのか。大きく地勢をとらえれば、北海道は日高山地と渡島半島(函館)、青森は下北半島で三方を囲んだ内海のように見えなくもない。もちろん、車窓に広がる水平線の彼方に、遠く島影が霞むことすらないのだが。

浜辺では、年老いた女性たちが昆布を干している。

左手には日高山地の稜線が美しい。その裾野に牧場が点在する。夏に訪れれば、緑色の絨毯が敷き詰められているようで、風が吹けば櫛を引くようにそよぐ。そんな中に、陽光にきらきらと輝くような毛並みの競走馬たちの姿が見られる。

躍動する度に、しなやかで隆々とした筋肉がその表皮のなかを動く。たてがみが風に踊る。それがつぶさに分かるくらいに、ディーゼル列車は牧場のすぐ脇を走り過ぎていく。

まだ学生だった私は、旅先で知り合った同じく一人旅を楽しむ学生と日高本線で様似に向かっていた。左右の車窓に流れる対照的な風景にいささか興奮しながら、とりとめもない話を交わしていた。

と、車体全体が軋んでいるかのようなブレーキ音とともに列車が止まった。競走馬の産地として名高い新冠を過ぎたあたりの、今では名を思い出すこともできない小さな駅だった。一人の老婆が乗り込んできた。その駅から乗り込む客はほかになかった。

通学に列車を使う高校生たちで車内はそれなりに混み合っていたからだろう。老婆は、私たちが座っている四人掛けのボックスシートに腰を落ち着けた。

「お兄さんたちはどこから来なすった?」

ごく薄い紅色の頭巾で頬かむりした老婆はしゃがれた声で話し掛けてきた。笑っているようだが、皺が深いので、怒っている顔のようにも見えた。ただ、眼病のせいか血圧のせいかやや濁った瞳がどこか優しかったので、私たちは笑顔で返した。

聞けば、明治時代に入植した開拓者の子孫だという。

北海道の開拓者たちは、猛獣や飢えよりまず厳しい寒さと戦わねばならなかった。暖をとるための薪を供すべく伐採を繰り返したため海沿いの木々が失われ、丸裸になった丘からは容赦なく土砂が海に流れ込んだ。土砂が混入して黄色く濁った泥海は、以前のような豊かな海の幸を恵んではくれなくなった。地産であった昆布漁は大打撃を受けた。

いまでは風力発電所が置かれるほどの強風地域である襟裳周辺は、砂塵が竜巻をなし、その黄色い礫の直撃を受けると目も開けられぬほどになった。その様を人は「襟裳砂漠」と呼んだ。

植林、護岸によって、青い海を取り戻そうと昭和28年に起こった「えりも岬緑化事業」は、環境保全の方向に進んで成果を上げた最初の公共事業だった。

老婆の朴訥とした語り口に私たちは引き込まれた。この豊かな車窓の風景が、ほんの数十年前まで「砂漠」だったと言われても容易には信じられなかった。襟裳岬の緑化事業の経緯については、NHK「プロジェクトX」(「えりも岬に春を呼べ」)で放映されたり、中学校の教科書に「魚を育てる森」(松永勝彦)という小文が採用されたりしたことで今でこそ人口に膾炙しているが、私が老婆から「襟裳砂漠」の惨状を聞いたのは今を遡ること数年前のことだった。

車窓に陽光を照り返す青い海は、手付かずの自然ではなかった。人間の不断の努力がもたらした果実だった。

老婆は様似駅で私たちと一緒に降りた。私は皺だらけで分厚い老婆の両手と握手し、深く頭を下げて辞した。

様似駅からさらに1時間ほどバスで揺られ、襟裳岬に向かった。

そのバスが轍を刻む道、浦河より豊似岳を軸に襟裳岬をぐるりと廻って広尾、浦幌と海岸線を北上する国道336号線は「黄金街道」と別称される。切り立った崖に道を通す難工事だった上に、暴風と波浪にしばしば妨げられた。1キロの道を通すにも莫大な資金を要し、さながら黄金を敷き詰めた街道を引くようであったという。

その由来も老婆から聞いた。

今夏、所用があって北海道を訪れた。時間があったので日高本線で新冠に向かったが、その車窓は相変わらず美しかった。文頭に掲載した写真は、その際に撮影したものだ。

追記。「単線旅情」というサイトで、日高本線の海・緑のコントラストがよく伝わる写真が掲載されていたのでリンクを張っておく。「NEXT」でたどっていくと、さまざまな表情の日高本線沿線の風景が観られる。

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