ジャック・デリダ死去
2004年10月10日04:33
難解な著作が多かった。『グラマトロジーについて』などほとんど読み進めないうちに投げ出した。読破したのはわずか一冊『エクリチュールと差異』のみで、それも歯を食いしばってページをめくるような思いをして何とか読み終えた。
文学部に入学し、哲学科に進むべきか文学科に進むべきか迷っていた私をして、文学部進級を決意せしめた哲学者だった。デリダが読めないのなら、哲学を専攻しても仕方がない、と。
文学科に進んでからも、「ジャック・デリダ」の名前には何度も遭遇した。やや乱暴な分類だが「ポスト構造主義」と総称される現代哲学の潮流が、文学研究の根幹をぐらぐらと揺るがしていたからだ。
文学研究者たちがデリダの言葉を引用しているのを読むたびに、私の中でデリダ像が朧気ながら形作られたが、次の引用でそのデリダ像が崩壊し、まったく別の顔のデリダ像が出来上がってしまうこともしばしばだった。
おそらく、デリダを引く文学研究者たちが、それぞれ自分たちに都合のいい「デリダ」の断片を引用していたからだ。フランス人らしい示唆的で詩的なデリダの文体は、光をどう当てるかで輝きを変えるプリズムのようだった。
そんなせいもあって結局、20世紀、そして21世紀の社会と文学(研究)にとって、ジャック・デリダとは何だったのか。そんなことはまったくもって分からずじまいだ。
「ジャック・デリダ」――。アルジェリア出身のユダヤ系フランス人のこの名前は、かくして私のアカデミズム・コンプレックスの象徴になった。「読めない」という劣等感と、それでも『エクリチュールと差異』は読み通したという自負との複合観念(コンプレックス)だ。
74歳、死因は膵臓がんだった。
トラックバック
trackbackURL:








コメント
毎日楽しみに拝読させていただいております。
デリダについては不勉強ゆえ、私などにはコメントの仕様もありませんが……とにかくすごいサイトですね……。
質×量の圧倒的なエネルギーには感嘆させられるばかりです。