ピースサインの意味(3)
2004年10月13日12:26
Mr.Childrenの桜井和寿が坂本龍一の「WAR AND PEACE」に寄せた詩について書いた拙文「ピースサインの意味」に対して、いくつかのコメントを頂いた。それにお答えした「ピースサインの意味(2)」を掲示したところ、さらにご意見を頂いた(ありがとうございます)。前回の記事で意を尽くしたつもりだったのでコメントでお返ししようかとも思ったが、長くなりそうなのでエントリー(記事)でお返事する。
どんな言葉も政治的である――。フランスの哲学者が残したこの言葉はけだし箴言である。この記事を書きながら、ずっとそんなことを考えていた。
池田さんの記事を読ませていただくと、今回の彼の行動が「政治的」である、という点が好ましくないと考えておられるようですね。その背景にあるものとして、池田さんの、坂本龍一氏や筑紫哲也氏らの思想に対する不信感と嫌悪感のようなものを感じました。
で、そこのところで私は分からなくなるのですが、池田さんとしては、桜井さんの行動が政治的であるという点を批判しているのか、それとも池田さんの好ましくないと思っている人たちと彼が行動を共にし、結果的に利用されているという点を問題にしているのか、どちらなのだろう?と思うのです。
私としましては、彼が必要を感じて政治的なアクションを起こすのなら、それも良いと思うし、坂本さんたちと行動することが心地よいと感じ、その場所から何かを発信したいと彼が希望するなら、個人の責任において、それをしてもらったらいいんじゃないかと思います。
逐一、お答えする。
まず「池田さんの記事を読ませていただくと、今回の彼の行動が「政治的」である、という点が好ましくないと考えておられるようですね」という点について、あらゆる政治的な言説を否定するわけではない。私の(政治的な)理念に反する政治性については否定するが。そしてこの詩に関しては、「政治的な理念」よりも「政治的な方法」について批判したつもりだ。詳しくは後述する。
筑紫哲也に対しては、ひとよたけさんが仰るような「不信感」を持っている。「嫌悪感」というのは、ちと過激だけれど。坂本龍一については、そこまでの(政治的な意味での)不信感はない。
「池田さんとしては、桜井さんの行動が政治的であるという点を批判しているのか、それとも池田さんの好ましくないと思っている人たちと彼が行動を共にし、結果的に利用されているという点を問題にしているのか、どちらなのだろう?」というご質問に対してだが、これは「両方」というのが答えだ。
私が「好ましくないと思っている人たち」の政治的な言説に加担する(させられる)のなら、それも含めて桜井の政治性だと思うからだ。「利用されている」から、桜井は被害者なのだとは言えない。
そして「彼が必要を感じて政治的なアクションを起こすのなら、それも良いと思うし、坂本さんたちと行動することが心地よいと感じ、その場所から何かを発信したいと彼が希望するなら、個人の責任において、それをしてもらったらいいんじゃないかと思います」という部分については、仰る通り。
ただし、桜井和寿の名前でそれをするなら、それは生身の人間としての桜井和寿の行動ではなく、Mr.Childrenのボーカリスト、コンポーザーとしての「桜井和寿」の行動と受け取られる。むろん、彼(ら)がどのような「行動」をとるかは彼らの自由だが、同時にまた、その「行動」に対して批評するのも自由なはずだ。
それについては、ひとよたけさんが
そこから出てきたものに対して、私自身がすべて賛同したり評価できるかというと、そこはまた違うだろうと思いますけど。
と書いておられるとおり。ひとよたけさんがそうであるように、私もまた「すべて賛同」はできない。私は、私の政治的な理念や姿勢を背景に、桜井の詩が持つにいたってしまった「政治性」を批判した。それに対してひとよたけさんが賛同できないのも致し方ない。残念ではあるが。
ここで、もう少し分かりやすく、私が桜井の詩に感じた「政治性」について説明しておく。
いみじくもひとよたけさんは「『ピースサイン』という、過去を溯るといろいろな意味づけをなされてきた言葉を、平和を願う象徴として使ってしまったということが、「失敗」だった」と書かれているが、私はこの「象徴」(「ピースサインの意味」では「スタイル」「シンボル」という言葉を多用したが)というものに寄りかかる政治的な「方法」について批判したつもりだ。
桜井は、「HERO」ではささやかだが温かで確かな等身大の日常を描き、「タガタメ」では「被害者」「加害者」など直接的な「言葉」を多用して作詞した。この2曲ともにリスナーに対する「影響力」はあるからその意味では「政治性」があるが、採った「方法」は正反対といえるくらいに相反している。私は、「タガタメ」よりも一貫して「HERO」を評価してきた。
私が「ピースサイン」の詩を批判するのも同じ理由だ。ピースサインを「切実に」刻むことよりも、本来の意味を知らなくても無邪気にピースサインを刻む子供たちの笑顔を守る方が、私には意味があることに思える。
桜井は「詩人」ではあるが「思想家」ではない。「ピースサイン」という記号(それは「平和」とか「反戦」とかいう、政治的な言説と同じだ)をロゴスで直接的に語るよりも、日常の何気ない風景を切り取って、それを歌うことで、言葉でも記号でもない「平和」そのものを私たちに想起させることができるはずだ。(むろんそれは私の勝手な期待であり、押し付けだけれど)
ノンフィクション作家の佐野眞一は、自身の執筆姿勢について「小文字で綴る」という表現をよく使う。宮本常一という民俗学者に学んだというその教訓について佐野が語っているのを、神戸新聞のインタビュー記事から引く。
―執筆活動の上で具体的に心掛けていることは
「最も教えられたのは『小文字』で書くということ。今、マスメディアには『大文字』の情報があふれている。構造改革。地球にやさしい。大きく美しく反論できないけれど、実感として伝わってこない言葉の海だ。宮本は難しい言葉を使わないが、そこには実感がこもっていて、深い」
桜井は「小文字」で歌える人だ。「大文字」で語るのは、筑紫哲也に任せればいいじゃないか――。つまり私は、本当は「政治性」そのものを批判しているわけではない。「政治性」をモロに感じさせてしまうような大仰さを批判しているのだ。
「ピースサイン」は、「ピースサインの意味」でも書いたが、「大文字」の政治に翻弄されながらわずか数十年の間に意味を変え続けて来た。60年代、70年代の“政治の季節”とは、いわば「大文字」の時代だった。
90年代から活躍するポップ・ミュージシャンに、私は小文字の歌を期待する。
追記。コメントに対するレスポンスは「ピースサインの意味(3)」に書いた。
トラックバック
trackbackURL:








コメント
>ストッキングちゃん
>「ひとりじょうご」オープン、おめでとうございます。
ここに今後も沢山の言葉が残されていくのを楽しみにしています。
どうもありがとうございます。そして、私の“排泄物”が、ここを訪れる人たちを不愉快にさせないことを祈るばかりです(笑。
さて、「ピースサイン」についての桜井の考えを知るためのヒントのひとつが、「LOVEはじめました」の次のフレーズです。おそらくストッキングちゃんが指摘した「殺人現場で野次馬達・・・」はここから引いたのだと思います。
>殺人現場にやじうま達が暇潰しで群がる
>中高生達が携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る
これは確かに「思考停止」している様子です。しかし、この歌詞からさほどの政治性を感じないのは、おそらくコンテクスト(文脈)の問題だと思います。ニュース23で、坂本龍一が作曲したその名も「WAR AND PEACE」という楽曲に提供した歌詞なのか、それとも徹底的に「小文字」で描ききった「LOVEはじめました」の中の1フレーズなのか。
コンテクストを無視して言葉を論っても、あまり意味はないように思います。だから、筑紫哲也の番組に対して、あるいは坂本龍一の政治的スタンスに対して、私が持っている、ひとよたけさんいわく「不快感」が、拙文「ピースサインの意味」に大きく影を落としていることは間違いなさそうです。
以上、ストッキングちゃんのコメントへの直接的な返答ではありませんが、考え付いたので書いてみました。
また遊びにきてください。推敲もほとんどしない20分即席書きなぐり状態ですが、何とか更新は続けていきたいと思っています。
「ひとりじょうご」オープン、おめでとうございます。
ここに今後も沢山の言葉が残されていくのを楽しみにしています。
ニュース23を見ていなかったので、この作品がどのように表現されたのか分からないのですが、私は彼が政治的な手法を用いても構わないと思っています。ジョン・レノンのように、人々が耳を傾ける声を持つ人間が、アクションを起こすことに異論はありません。
特に今回は、戦争と平和について考える場に赴いて、その場での作品ですから、「君が何気なくしているそのピースサインは、人や場所によって様々な意味を持つ形なんだ。それを意識してごらん」というメッセージならば、それを否定しません。
実際、ピースサインに政治的かつ大文字的な意味を当てはめ、それを推奨する押しつけがましさを、この詩からは感じませんでした。
今回の『ピースサインの意味』という「政治的な観点」で見ると、血なまぐさい意味もあることから、無知は罪である、という見方もあるかと思います。
しかし現代は、殺人現場で野次馬達がピースサインをする時代です。(この時点で、ピースサインは小文字に過ぎません。)カメラを向けられた途端、条件反射のように形作られるピースサインに、「ちょっと考えてみてよ」と警鐘を鳴らしたい気持ちは私にもあります。
桜井さんはどちらかというとその風潮に対し、思考の停止は罪である、的なスタンスをとっているように思えます。
どうでしょう。作品の前後を見ていないので、私もブレまくってしまいますが、1つ言えることは、日常的なピースサインのように、考えることもせず一様に右に倣う姿勢は、やはり滑稽だということ。
また一方で、桜井さんの言葉に盲目的に心酔し絶賛する様子を見ると、同じような印象を受けることも確かです。(正直、それに反発してみたくなりました。)
私達受け手が未成熟なのか、それとも表現者としての桜井さんの不手際なのか、分からないまま投稿しちゃった♪私です。
ひとよたけさん同様、池田さんをねじ伏せようだなんて、そんな魅惑的なこと、考えたこともありません(愛)。
>ひとよたけさん
毎度コメントをいただきましてありがとうございます。ちなみに、お忙しいのなら無理してコメントを頂かなくても「無視された。ヴー」などと怒りませんので、気していただくまでもありません。
歩さんのコメントへのお返事でも書きましたが、「ピースサインの詩」に関する私の意は尽くしたつもりですので、もう記事ではお返ししませんが、これもひとよたけさんを無視したわけではないので「ヴー」と怒らないでくださいね(放置されたし、と自ら書かれておいでですが)。
今後、「ピースサインの記事」にコメントを頂くかもしれない方々のために書いております。池田蛇足という単なるミスチルファンのひとりが妙なことを自分のサイトに書きなぐっているだけですので、これに反論し、調伏したところで何の利益もありませんので(笑。
ただ、ひとつだけ。訂正させてください。佐野眞一のインタビューを引用していましたが、リンクが間違っておりました。同趣旨の(大文字・小文字に関する)文章ではあったので、文意が通っておりましたが、正しくはこちらの記事でした。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/071.html
せっかく短期間で記事が書けると褒めていただいたのに、この体たらく。お恥ずかしい限りです(笑。
ひとよたけさんのコメントは、以前から丁寧で、読みやすく文意が伝わりやすいので、大変勉強になっております。今後とも、ミスチル関係の記事に対しても、そうでない記事に対しても、忌憚のないご意見を頂ければ嬉しいです。考え方は違っても、いや違うからこそ、学べるところも大きいので。
池田様
「ピースサインの意味(2)」にコメントをつけさせていただいたところ、即座にお返事をいただきまして、誠にありがとうございました。あのような短時間のうちに、あれだけの内容の濃い文章が書けるあたり、さすがにプロの方は違う!と感動いたしました。
こちらからもすぐにお礼を申し上げるべきでしたが、仕事の関係でなかなか時間がとれず、(あいた時間にぱぱっと書き上げるほどの技量も持ち合わせておりませんので)、お返事が大幅に遅れましたこと、ほんとうに申し訳なく思っております。
もうすでに池田さんのほうから皆さんにコメントを返された後ですので、私のこのコメントにつきましては、放置してくださるよう、お願いいたします。
さて、遅まきながら、「ピースサイン(3)」の記事について感じたことを書かせていただきます。
まずは、(筑紫さんや坂本さんに対する)「嫌悪感」という言葉。
自分でこの言葉を使っておきながら、自分でウケてしまいました。
そうですか。「嫌悪感」は「ちと過激」でしたか。
どうも私は池田さんの文章を読むとき、その厳しい口調から、必要以上に感情的な側面を増幅して受け取ってしまい、それにまた自分自身が過敏に反応してしまう、悪い癖があるようです。
今後、池田さんの文章を読む際は、そのあたりを自分自身に戒めたいと思います。
ところで、「ピースサイン」の詩をとりまく一連の問題につきましては、繰り返し説明をいただいているうちに、物分かりの悪い私もようやく池田さんの本意が理解できるようになってまいりました。(たぶん。)
これは、池田さんが以前「鉱雀記」で、「タガタメ」と「HERO」を対比させて論じておられた問題がそのまま繋がっていたわけですね。
今回のテレビ番組には、9.11のテロでご主人を亡くされた方の言葉も寄せられたと聞いています。その方の言葉と、桜井さんの「ピースサイン」の詩を並べた時、おそらく桜井さんの詩は、現実に被害に遭われた方の言葉の重さには到底及ばなかったであろうと想像します。
それはまさに、あの、「タガタメ」という曲の中で繰り広げられた構図と一致するものでしょう。
さらに、記事の中でリンクしていただいた佐野眞一さんのインタビュー記事は、池田さんの言葉を理解する上で、たいへん手助けになりました。良いものを読ませていただき、感謝しています。
しかしながら、ひとつだけ池田さんのご意見に異議を挟ませていただくとすれば、それは、「ピースサイン」の詩の解釈でしょう。
池田さんは歩さんに対してもこの詩について答えられていますが、それを読んでも、私の頭の中では納得するには至らないのです。
池田さんはこの詩が、ピースサインを刻むという「行為そのもの」について書かれているにすぎないと考えておられるのでしょうか。
例えば、「写真に納まるときにいつも漫然と掲げていたピースサイン。これからその仕草をするときには、もっと平和のことを考えなくちゃ。」みたいな。
仮にそうだとすれば、池田さんのおっしゃる、「『象徴』というものに寄りかかる政治的な『方法』」というご批判にも納得がいきますが、しかしいくらなんでも、そんな幼稚な詩を、あの桜井さんが作るものでしょうか。
私の解釈はたぶん、歩さんのお考えに近いです。
「あぁ もっと誠実に もっと切実に ピースサインを刻んでおけばよかった
もっと誠実に もっと切実に これからはピースサインを刻もう」
この「ピースサインを刻む」というのは、単なる比喩にすぎないと思います。
つまりは平和を願う、「人の内面の在りよう」を表現するために、この言葉を使ったのであり、必ずしも「行為そのもの」を指しているのではないと思います。
ですから私自身は、この詩が、「無邪気にピースサインを刻む子供たちの笑顔を守る」ことと、何ら矛盾するものではないと考えています。(この点で、歩さんの意見と一致します。)
いつも長々と書いてしまい、申し訳ありません。
>LeGOさん、よしあきさん、歩さん
コメントをどうもありがとうございました。
>歩さん
「ピースサインの詩」については、記事で意を尽くしたので、これ以上の記事更新はしないつもりです。ですので、コメントでお返しします。
お考えは大変よく分かりました。ただ、私は残念ながら、ピースサインの詩を、あなたの「意訳」のようには読めませんでした。あなたが言うように「イエーイ」という感じで、無邪気に刻むのがピースサインです。その「なにげない平和」を守るためにまじめくさって切実に「イエーイ」とやるならそれはもう無邪気な「イエーイ」ではないわけで。やはりそこにはシンボリックな「平和」というものがあるはずです。ていうか、「イエーイ」って楽しく写真に写ろうというときに、「このなにげない平和を」とか切実に考える(考えたい)というのは、不自然で病的じゃないですか?少なくとも僕はそう思います。
私も、この詩を子供に向けた詩だと解釈しているわけではありません。子供が読んだら、どう感じるかということを書いたに過ぎません。彼らのほうが、より「無邪気」にピースサインを刻んでいるだろうからです。
そして「蛇足さんはただ恋愛ソングを歌っていて欲しいだけなのではないでしょうか」というのに対しては、私が一番好きなアルバムは「深海」で、その中でも「シーラカンス」が好きだ、ということでお答えに代えさせていただきます。
最後に「大文字」の中に「小文字」がある、というご指摘はまったく逆でしょう。「大文字」の中から「小文字」を「しっかり聴き取る」というのは、聴き取っているのではなく、想像で穴埋めしているに過ぎないのではないですか?
例えるなら、「大文字」というのは蒸留水のようなものです。池の水でも、海の水でも、雨水でも地下水(これらが「小文字」ですね)でも、蒸留させて「大文字」である蒸留水にしてしまえばみな同じものです。でも、蒸留水を持ってきて、これが元はどんな水であったか、と問われれば、そこは想像で補うしかないのでは?
水はそれぞれ味が違いますが、蒸留水にしてしまえばみな同じです。というか、無味無臭なんですが。水の味、といっているものは、実は不純物の味なわけですね。「小文字」の歌の魅力も、その「不純物」の味の面白さであって、これを蒸留して「大文字」しまえば、たとえば「あなたのことが好き」とか「恋愛ソング」とか、どーでもいいつまらないものになってしまいます。
小文字に大文字は宿りますが、大文字に小文字は宿らない。宿るとしても、少なくとも書き手はコントロールできない。それが僕の持論です。
お答えになっていれば幸いです。
復活おめでとうございます。
「ひとりじょうご」いつも楽しくよまさせて頂いております。今回の記事も「なるほど!」「そういう考え方もあるんだ」とか思いながら一気によまさせていただきました。色々と思ったことがあったので僕もコメントを書かさせてもらいます。
まず最初にあの放送についてです。
蛇足さんは櫻井さんのあの詩に対してだけを述べているのですが、僕の考え方からすればあの放送全体で論議しなければ意味がないのではないのでしょうか?なぜならあの放送の中で坂本龍一の「WAR AND PEACE」という曲がかかったのですから。
僕はあの放送については前々から興味があったので楽しみにしていたのですが、はっきり言って微妙に感じました。
それというのも僕は坂本龍一の「WAR AND PEACE」という曲を知らず、「聴いてみたい」「メッセージ、音楽性はどんな物なのだろう?」「どんな楽器を使っているのだろう?」「演奏はどうするのだろう?」という興味があったから見たのですがどうもNews23側のアプローチの仕方よくありませんでした。加えて筑紫キャスターも不快だった。僕は筑紫さんが嫌いというわけではありませんがそれでもあのときのあの発言は許せなかった。
「なんか見たことがある人もちらほら」
なぜそんなことを言う必要があるのか?桜井さんや吉本ばななさんは一人の作家あるいは一人のミュージシャンとしてメッセージを連ねたに過ぎない。
それをピックアップするというのは僕には理解できない。それをすることにより彼らはMr.Childrenの櫻井、「TUGUMI つぐみ」を書いた作家吉本ばななになってしまうのではないだろうか?僕が作り手だったらそんなことはしなかったと思う。なぜならそれにより誠実さが削がれるからだ。本当に反戦を番組として伝えたいのならドキュメンタリーを作るにしろ彼らの映像はピックアップしてまで使うべきではないはずだと僕は思う。
ここに僕は蛇足さんのいう「利用する」ということが見え隠れしているように思う。協力していると言っても人はそれぞれの利害から協力という行為を行う。特に楽曲というものは聴き手のとり方一つで意味合いが変わってくる。TVが楽曲を利用する。今回もそんなところが見え隠れしてとても不快だった。
それを踏まえたうえで二つ目に肝心の詩について考えたいと思います。
そんななかながされた詩というものはどこか政治的な臭いがしてならない。その臭いを払いのけてみてやるとこの詩そんなに悪い詩でしょうか?
「アルバムの中 ピースサインで写るたくさんの僕がいる
あぁ もっと誠実に もっと切実に ピースサインを刻んでおけばよかった
もっと誠実に もっと切実に これからはピースサインを刻もう」
ピースサインってここで読んで始めてそんな意味があったんだと思いましたがはっきり言ってそんなこと考えてピースサインで写真に写る人っているでしょうか?普通はイエーイって感じで映ると思います。それにこの詩、僕は大人に向けた詩だと思います。
この詩を読み解くとき僕には「ピースサイン」が平和の象徴ではなく「ピースサインで写真に写るたくさんの僕」というのが「平和」の象徴であると読み取れます。それもただの「平和」ではなく「なにげない平和」。これを踏まえ僕の意訳はこれです。
「アルバムの中にあるなにげない平和
あぁ もっと誠実に もっと切実に こんな写真を取るための努力をしておけばよかった
もっと誠実に もっと切実に これからはこんな写真を撮るために努力をしよう」
つまりなにげない平和はすぐ壊れてしまいそうだから守るための努力をしようってことです。子供にはどう考えても当てはまらないメッセージですよね。明らかに大人に向けられたメッセージです。それも成人を迎えてから10年はたっている人のための。これって最初に蛇足さんが言っていた、
「いまの子供たちが、カメラに向かって無邪気に「ピースサイン」を送る。その切実さも、誠実さもないが、楽しげで明るい笑顔を大人たちがどう守るかの方が、「ピースサイン」という「スタイル」を守ることよりももっと重要なはずだ。」という意見と同意見だと思いませんか?
ここまで書いておいてなんですが今回の僕のコメントはポジティブすぎるかもしれません。ですが僕は決して櫻井万歳な人ではなく、Mr.Childrenの音楽が好きなだけの人間です。駄目だなと思ったことは駄目だといいますし、嫌いなところだってあります。それでも今回の詩については蛇足さんが言うほどに酷いとは思いませんでした。「タガタメ」のときも多少違和感を感じましたがそれは作詞の上での違和感で詩に対しては批判するほどでないと思いました。
言い方が悪いかもしれないのですが蛇足さんはただ恋愛ソングを歌っていて欲しいだけなのではないでしょうか?そういう理由でフィルターを通してこういうメッセージ性の強い詩を読むと詩に隠されている「小文字」を読み分けることは出来ないと思います。「大文字」に囲まれた中にも「小文字」は在りますし、「大文字」自体の中にも「小文字」は在ります。それをしっかり読み取ることが聴き手の役目ではないでしょうか?(僕も読み取れていないかもしれませんが(笑))
非常に勉強になりました。
正直、蛇足さんの文章は自分には難しすぎる所があり何度も読み返してやっと半分くらい?理解できる程度なのですが、「大文字」「小文字」の意味は自分にはすっと入ってきました。
桜井の使う「小文字」に何度もやられてきた自分だからでしょうか?笑
でもちょっと前向きに考えると、桜井は今進化している真っ只中なのかもなーなんて考えました。
今は「大文字」の効果的な使い方を覚えている段階かもしれませんよね?
押し付けがましく「大文字」が並べられた歌詞の中にさりげなく「小文字」で訴えかけるような、いつかそんな小気味いい歌詞が聞けることに期待したいです。
あと言い忘れてました、新サイトおめでとうございます。お仕事が忙しいようですが、勝手にこのサイトに期待してます!頑張ってください!
及ばずながらも、私も感想を述べさせていただきます。
まず、今回の議題になっている4日に放送されたという「News23」を見ていないので、引用されている詩の内容でしか討議に参加できないことを残念に思います。
実は、私も「タガタメ」の詞には、今まで「Mr.children」、あるいは「桜井和寿」という人物が作ってきた作品とは異なる、一種の漠然とした違和感のようなものを感じていました。
それが、今回の「WAR AND PEACE」に寄せられた桜井氏の詩を読んだ時も、感じられたのです。
これが何なのか、今回の「ピースサインの意味(3)」で池田氏が述べられている、
>桜井は「詩人」ではあるが「思想家」ではない。
という文章を読んで、私の意識化でぼんやりとしたものが少しずつ形作られていくきっかけとなり、その結果、自分なりに出した答えはこうです。
「タガタメ」や「WAR AND PEACE」に寄せられた詩と、「HERO」やその他の作品を隔てる決定的なものは、その歌の対象になるもののスケール、あるいはそれを象る輪郭の差ではないか。
今までの作品群を見聞きし、私が感じたのは「日常」であったり、「君」であったり、「僕」であったりする、比較的、スケールの小さな、身近な対象についての歌
だったように思います。
また「時間」、「社会」、「愛」といった大きなテーマについて歌ったものでも、ある対象(「日常」や「君」、「僕」といったもの)を通して、私に語りかけてくるものでした。
しかし、「タガタメ」「WAR AND PEACE」に関しては、その歌についてのテーマ、今回の場合は「平和」「反戦」といったものに焦点をあわせる為の『レンズ』が曖昧で、どうもピントが合わせにくいように感じるのです。
>子供らを被害者に 加害者にもせずに
>この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
>もっと誠実に もっと切実に これからはピースサインを刻もう
それらは、単純に桜井氏の目を通して見た世界と、私の目を通して見た世界を見るためのレンズが違うというだけの話かもしれませんが、これまで私に見せてくれた「ささやかだが温かで確かな等身大の日常」の世界を、色眼鏡をかけなくても見られる作品で、また見せてほしいと期待してしまうのです。
つらづらと拙文を書きまして、お邪魔いたしました。
>maruoさん
それは、夏目漱石を夏目漱石さんと呼ばないのと同じ理由だと思いますよ(笑
あなたはなぜ桜井さんを呼び捨てにするのですか。そんなに偉いのですか?なんか読んでて腹が立ちました。