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すき焼きと「団塊の世代」(2)

2004年10月19日10:55

すき焼きと『団塊の世代』」の続き。ノンフィクション作家の佐野眞一は、ダイエーの創業者、中内功の一代記「カリスマ」の中で、中内がフィリピン戦線で瀕死の重傷を負った場面で「人は死ぬ前、自分がこれまで生きてきた人生が走馬灯のように浮かぶという。中内の場合、それがスキヤキのにおいだった」と書いている。

中内は独立混成第五八旅団(盟兵団)重砲兵第四大隊に所属し、フィリピン戦線で塗炭の苦しみを舐めた。マラリアと飢えと敵襲に苦しみ、怯えながら、中内は敵国の豊かな兵站(ロジスティクス)を目の当たりにした。佐野眞一は、中内がダイエーという流通企業を急成長させた原動力をここに見る。

ダイエーは、“企業戦士”と比喩される高度成長期のサラリーマンとその家庭に、兵站を提供し続けることを使命とした。その手法は一貫して「安売り」だった。はじめは医薬品、次いで牛肉の安売りを手がけた。いずれも、既存の流通システムに縄張り意識が強い業界だった。

さらに佐野の「カリスマ」を引く。

その日の夜明け、中内は約二十名の部下を引き連れ、オーストラリア軍の陣地に斬り込みをかけた。武器は軍刀と数個の手榴弾だけだった。この頃になると、敵も日本軍の斬り込みに馴れ、たちまち逆襲をくった。至近距離から投げ込まれた敵の手榴弾は、中内の前で爆発した。

瞬間、バットで思いきり体を殴られたような激痛が全身を走った。薄れゆく意識のなかで浮かんだのは、神戸「サカエ薬局」二階の狭い部屋で、裸電球の下、家族六人でつついたスキヤキのにおいだった。

その中内が九死に一生を得て引き揚げた後、ダイエーを創業し、1960年代から始まる“流通革命”を牽引する。その先鞭が牛肉の安売りというかたちでつけられたことは、この戦争体験と無関係ではない、と佐野は分析する。

ダイエーが牛肉の安売りを始めた1959年という年は、まさに60年安保の渦中である。翌年の6月15日に安保反対集会で樺美智子が死亡し、その3日後に新安保条約が自然承認される。そのあおりで岸信介内閣が倒れ、所得倍増計画を打ち出す池田隼人内閣が成立するという歴史の転回点だ。

58年に始まった岩戸景気、63年オリンピック景気(東京オリンピックの開催は64年)、65年に証券不況を迎えるも66年にはいざなぎ景気で盛り返す。60年代の10年間は、大きくとらえれば、1970年に大阪万博が開催され人口が1億人を超えることを総仕上げとする空前の好景気だった。

この10年間、ダイエーは牛肉の安売りを採算度外視で継続した。枝肉を買い取るのでは供給が間に合わず、生きた牛を買い取って職人が屠殺、解体して食肉としたが、この方法を採ると100グラム39円という売価では牛一頭につき1万円の赤字が出た。それでも中内は安売りをやめなかった。ようやく69年、近代的な精肉生産システムが導入されて採算が合ったという。

混乱、喧騒、そして何より急成長する経済――。その坩堝のようだった60年代を中学生、高校生、大学生として過ごしたのが“団塊の世代”である。彼らはこの好景気の時代を青春歌謡曲を聴いて過ごした。

赤い夕陽が校舎をそめて ニレの木陰に弾む声 ああ高校三年生 ぼくら離れ離れになろうとも クラス仲間はいつまでも

63年にヒットした舟木和夫の「高校三年生」の一節だ。それと同じ年、ダイエーは福岡天神に出店した。関西圏のそとに出店した最初であり、これを足がかりとして以降の全国展開を進めていく。

中内を初めとする戦中派の生き残りたちが牽引した未曾有の経済成長を、学生として享受した“団塊の世代”たちは、母親が「主婦の店ダイエー(当時、70年にダイエーと改称)」で買ってきた牛肉で作ったすき焼きで食べた。

彼らの父親たちは、中内と同じく、極端な食糧難や戦争体験のなかで、渇きにも似た欠乏感をもって「すき焼き」に憧憬を抱いた。だから、“流通革命”の恩恵で、高嶺の花とまでは言えなくなったがまだ決して安いものではなかった牛肉を、大切な宝物を与えるような思いで、“団塊の世代”すなわち“ベビーブーマー世代”の我が子に与えた。

育ち盛り、食べ盛りの中高生だった“団塊の世代”にとってもまた、牛肉のすき焼きは何よりの馳走だった。彼らがすき焼きを半ば神聖視するに至った要因は、おそらくこの60年代という時代にある。

また長くなった。次稿に続く。

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すき焼きと「団塊の世代」(3) from ひとりじょうご

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