Sponsored Link

すき焼きと「団塊の世代」(3)

2004年10月20日01:52

60年代という未曾有の成長期を一〇代の青春期で過ごした団塊の世代と、フィリピン戦線で九死に一生を得た中内功率いるダイエーが始めた牛肉の安売り。この二者を直接結びつけるひとつの象徴が、すき焼きという料理だったということを前稿で書いた。

好景気を背景に急速な経済成長を戦中派が牽引する一方、“団塊の世代”は政治の季節に突入していく。60年代前半に青春歌謡を聴いて、母親が「主婦の店」で買ってきた牛肉を使って年に何度が作るすき焼きを食べていた若者たちは、60年代後半にはゲバ棒を持ち、バリケードに立て篭もるか、歌謡曲「神田川」さながらにボロアパートで異性と同棲するようになった。

いわゆる“団塊の世代”の大学進学率はおよそ15%から20%といわれる。だから“団塊の世代”すなわち“全共闘世代”と位置づけるのは危険だ、と安直な世代論を批判する向きもある。しかし私は、天野正子が「団塊世代・新論」のなかで述べているように

団塊男性のうち大学に進学したのは二割程度にすぎず、そのなかで運動に直接参加した学生はさらに少ないだろう。ただ…(引用者中略)…全共闘を一部の学生の運動とみなすのはまちがいであり、当時の若者たちが広く共有していた「対抗文化」のなかでとらえることが重要だろう。

60年代を覆った「対抗文化(カウンターカルチャー)」が総じて“全共闘的”であったと理解している。その、一種の社会的な「雰囲気」は、あらゆる対象に向けられた。ベトナム戦争反対、大学改革、性の解放、成田空港建設反対、70年安保反対――。枚挙に暇ない。

彼らは運動に身を投じることで、両親や家族と決別した。彼ら自身が家族への感傷を唾棄したし、両親もまた我が子が過激な学生運動に加わっていることを知ると、仕送りを差し止め、帰省を促した。

異常ともいえる集団心理のなかで、家族への思慕を口にすることはできなかった。それをすれば、吊るし上げられ、自己批判を求められる。しかし、ゲバ棒を手にアジ演説に耳を傾けながら、バリケードに囲まれた教室の冷たい床に座り込んだ彼ら一人ひとりは、実家での家族団欒の象徴であったすき焼きの味を思い出していたかもしれない。

それはちょうど、ダイエーの中内功が、混戦の続くフィリピンの密林で、飢えに苦しみ敵襲に怯えながら、「家族六人でつついたスキヤキのにおい」(佐野眞一「カリスマ」)を想起していたのと重なる。

1969年1月19日17時46分、東大安田講堂が陥落する。

全共闘は敗北し、以後、その運動は急速に大衆性を失っていく。経緯を書くには字数が足らないので省くが、運動はプロ化し、「内ゲバ」の泥沼に突入していく。70年に「よど号」ハイジャック事件、72年にあさま山荘事件が起こっている。

次稿で終える。

トラックバック

trackbackURL:

コメント

コメント記入欄

コメントをお寄せ下さい
最近の記事
ジャンル別
食 旅 社会 書評 音楽 創作 日常 歴史
特別連載中
戦前には海軍工廠が置かれ、重工業技術が集積した町「呉」。戦艦大和を生み出した“企業城下町”の痕跡を訪ねて歩く。(2006年5月25日連載開始)
過去の記事(月別アーカイブ)
検索
Creative Commons License
「ひとりじょうご」の複写、転載については Creative Commons Licenseに従ってください。
This weblog is licensed under a Creative Commons License.
Creative Commons License
Powered by