幻の常磐線
2004年10月24日22:43
2005年秋、1年後の開通を目指して「つくばエクスプレス(常磐新線)」の開通工事が急ピッチで進んでいる。秋葉原を基点として、常磐線を右手にやや西方を北上し、つくば市に向かうこの新しい鉄道路線の経路は、明治時代に計画されたものの反対運動で頓挫した“幻の常磐線”の経路とほぼ一致している。
常陸国(ひたちのくに、茨城県)と磐城国(いわきのくに、福島県)から一文字ずつとって名づけられた常磐線は、明治時代に常磐炭鉱の石炭を運ぶことを主目的として設計され、明治29年に土浦まで、明治31年に上野~岩沼間で全線開通した。
当時は「海岸線」と呼ばれていたようだ。磐城線(福島県東~茨城県北)、水戸線(茨城県央)、土浦線(茨城県南~千葉県北西)、隅田川線(都内)に分かれており、これらを総称して「海岸線」と呼んでいた。開発・経営に当たったのは日本最初の私鉄会社、日本鉄道だった。
路線図を見ると分かるが、上野(日暮里)を基点として福島方面に北上するはずなのに、常磐線はなぜかまず一路、東方向へ走る。日暮里駅を出てから不自然な角度のカーブで右に曲がり、南千住、北千住と足立区を抜け、葛飾区へ入る。金町駅を過ぎて江戸川を越えると、今度は左に大きくカーブして松戸駅(千葉県松戸市)へ向かう。ここからはほぼ、北上し続ける。
このような鍵型の経路をとったのは、三郷、野田、流山などの江戸川沿いの宿場町をあえて避けたからだ。
利根川は関宿で本流と江戸川とに分岐する。分岐した江戸川・利根川を今一度横に結ぶのが利根運河だ。流山市と野田市は、今なおこの日本で一番長い運河で隔てられている。この運河の開削工事は、オランダ人技師ムルデルの指揮で明治21年に着工され、翌々年に竣工した。
常磐線の開通に先立つこと9年前の話だ。
当時の物流の中心は水運だった。江戸表と銚子を結ぶ江戸川・利根川ラインを50キロほどショートカットするこの運河を汽船が往復し、その中継点であった三郷、流山は水運の町として栄えた。ピーク時では年間、3万艘の船が運河を往復した。
鉄道開通の話が持ち込まれたときに大いに反対したのは、その既得権益を守りたい水運業者たちだった。加えて、桑や葱を植えていた農家たちも、蒸気機関車の煤煙で作物が枯れると反対に回った。結果、常磐線は、当時の東葛飾地域では最大のまちだった流山を迂回して避けるルートを採ることになった。
代わりに経由する柏は、当時は見渡す限り荒れ野原であったという。
常磐線が開通して数年後には、国内物流の立役者は水運から鉄道に移った。利根運河を経由する汽船の数が年々減っていく一方で、鉄道の沿線は栄えた。やがて、鉄道誘致は大きな利権となり、都市開発と切っても切れない関係になる。柏は人口を伸ばし、大手百貨店(そごう、高島屋、丸井)が出店するなど商業都市としても栄えるが、流山はわずかにベッドタウンとして開発されるに留まった。
総武流山電鉄線(通称、流山電鉄)という鉄道が、常磐線の馬橋駅から流山駅まで走っている。いまだ2両から3両編成の鄙びた老朽車両で走るこのローカル線は、流山の産業界からの出資と要請によって、水運が衰退したあと大正5年に開通した。遅きに失した、としか言いようがあるまい。
「常磐新線」として昭和60年に着工が決まり、それから20年以上経過して、ようやく来秋に開通する「つくばエクスプレス」は、流山の産業界が反対運動を繰り広げたことで頓挫した“幻の常磐線”ルートを通る。これこそ流山、三郷はもちろん、鉄道駅がひとつもない陸の孤島、八潮市などの「悲願」といえる路線だ。
その実現はめでたいことだが、旅客数が増える一方だった高度成長期末期からバブル期にかけて計画され、莫大な資金を投じて開通するこの路線の採算については疑問視せざるを得ない。すでに鉄道の開通が都市開発の成功に直結する時代は終焉している。旅客数も減少し、通勤ラッシュは大分、軽減された。
なおもバブル期までの鉄道神話(と、不動産神話)に拘泥し続けるならば、その姿は水運の既得権益にしがみついて時代の趨勢を読めず、数十年後には無用の長物と化してしまう運河の開削に力を注いだかつての流山の水運業者たちに重なって見えなくもない。
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コメント
>今や免許センターの印象しかないのに(失礼)
ムリもないわな(笑。あとは近藤勇が捕縛された陣屋があるまちとかせいぜいその程度です。
たまに「常磐線が当初の予定通り、三郷・流山ルートで開通していれば…」などと夢想しますが、それはそれで結局我が両親は(今ほど栄えていなかったであろう)柏に住居を構えていたはず(教育環境のことを考えて、幹線筋には家を建てたくなかったのだそうだ)なので、まあそういうもんです。
常磐線の歴史も結構複雑なのね。
新京成沿線民としては,松戸を通ってくれて良かったな,という感じだが。
しかし流山って,当時最大の町だったんかー・・
今や免許センターの印象しかないのに(失礼)