姫神の訃報に触れて
2004年10月02日03:14
昆虫をこよなく愛するカメラマン小池聡氏から、つい先ほどメールを頂いた。ほんの半年ほど前に岩手県東和町で一緒に取材した作曲家・シンセサイザー奏者「姫神」星吉昭さんの訃報を知らせるお便りだった。(「姫神」の楽曲はここで視聴できる)
田瀬湖の冬は深い。
東和町は、花巻と北上の両市に接し、岩手県のほぼ中央に位置する。山は深く、可住面積率は40%前後だ。人口は減少の一途をたどり、ようやく1万人を維持している。その山中、猿ヶ石川をせきとめた人造湖、田瀬湖を見下ろす山肌に星さんのスタジオはあった。
4月も末日だった。都内では4月に入るのを待たずに桜が散ってしまい、そのころには上着を着て歩くと汗ばむほどの陽気だったが、湖畔のスタジオに到着すると、私たちは上着の前を合わせざるを得なかった。
周囲の落葉樹はいまだ寒々しいまでに裸のままで、梢の間から見える湖面は暗くに濁っていた。ただ、スタジオの近くにある桜の樹に、ようやく蕾が満ち始め、梢の先では可愛らしい花を開いているものもあった。コートの前を閉ざさなければ肌寒いような曇天の下で、その蕾だけが春の訪れを感じさせてくれた。
「姫神」――星さんは長い白髪を無造作に束ね、鼻の下には白い口髭を蓄えていた。丸い眼鏡の向こうの二重瞼の目は優しく、瞳の色は静かだった。語り口は明晰で、音楽家というよりも史観を語る一個の歴史家のようだった。
民謡の叙情とメリスマ(こぶし)に魅せられた星さんは、それをデジタル・シンセサイザーで織り成して見せた。三内丸山遺跡に接した感動を編んだ組曲「縄文海流」が認められて以後、世界各地の民族/民俗音楽に取材しながら、それらを独自の世界観でまとめ上げた。
その根底にあるものが東北賛歌であり、縄文賛歌であった。
縄文時代は自然の豊かな恵みを食べ、必要以上に蓄えず、それゆえに私有財産の奪い合いなどの争いがない、平和で豊かな原始共産時代だった。東北地方の素朴な文化や民俗には、その伝統が色濃く残っている――。
歴史学の観点からいえば、その東北・縄文賛歌は多分に浪漫主義的な色彩が強く、実証性に乏しい。しかしながら、言うまでもないが「姫神」は歴史家ではない。言うなれば、「物語」として音楽を編む「語り部」だった。多くの人が、「姫神」という語り部の奏でる「物語」に惹かれた。
それを証明するかのように、取材中、星さんは何度か「遠野物語」について言及した。インタビュアーはそれに答えなかったが、私はずっと、ある疑問を感じていた。取材の最後にそれを問うた。
その疑問はこうだ。あなたは、柳田国男なのか、佐々木喜善なのか。
星さんはその真意をすぐに悟ったのだろう。「なるほど」と呟き、そこで一呼吸置いた。真剣に答えを自らに問うてくれていることが分かった。
「遠野物語」は、遠野(岩手県遠野市)出身の佐々木喜善が、土地に残る昔話を民俗学者柳田国男に語り、柳田が筆記したものだ。
星さんが答えるのはおそらく佐々木だろう、と私は想像していた。「肉声」というものの美しさを大切にしたい、と星さんが繰り返し語っていたからだ。作品の中にも「姫神ヴォイス」と呼ばれる民謡的な発声法を得意とする声楽を取り入れている。
「遠野物語」は、佐々木が「肉声」で語った民話を、柳田が文語体で書き記したものだ。語り部の肉声で伝わる民話の肉声の魅力を、柳田は文語体で書くことで減じて、あるいは殺してしまった。星さんならば、そう言うのではないかと思っていたのだ。
答えは予想と違った。柳田だった。
星さんは言う。「確かに文語体で書くことで、民話の魅力が失われてしまっている側面はあります。でも、それでもなお、ああいうかたちで遠野の民話を世に出したことには共感を覚えるのです」。
若造のアマチュアイズムでは捉えきれない、プロの凄みだった。佐々木が一人で語るだけでは、何十人、何百人に伝えるのが精々だろう。柳田はしかし、数万人に伝えられた。商業ベースで音楽CDをリリースするということも、それに近いというわけだ。
「文語体の『遠野物語』ではどうしても表現できない肉声の大らかさ、温かみ、抑揚、息遣いなどは、音楽であれば表現できるんです。それは技術が進歩したからこそできるんです」。
畠山孝一の唄う「南部牛追い唄」に魅せられて音楽を志し、東北地方に数多く残る縄文遺跡に触れて詩情を起こす男が、シンセサイザーというデジタル機器を駆使するという不思議もそれで解けた。
取材を終え、私は、小池さんの車の助手席に乗り込んだ。窓の向こうで、星さんがにこやかに手を振ってくれている。私はそれに答えて何度か手を振った。自動車が走り始めても、星さんは手を振ることをやめなかった。私はバックミラーで見ているだけでは忍びなく、窓を開けて、田瀬湖スタジオが見えなくなるまで身を乗り出すように手を振り続けた。
それが永訣になってしまった。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
トラックバック
trackbackURL:








コメント
>山の神さん
ご来場とコメントに感謝。編集している雑誌の名前は差しさわりがあるので伏せさせてください。ジャンルとしては、中高年齢者向けのライフスタイル誌です。ただし、この雑誌に携わっているのは今年6月からで、姫神の取材は、別の雑誌の取材でした。
はじめまして!「姫神の訃報に触れて」を読ませて頂きました。本当に偉大な音楽家を亡くした悲しみで一杯です。ご冥福をお祈り致します。(ちなみにdasoku様は、雑誌編集者とありましたが、どんな雑誌を発刊されていらっしゃるのですか?お教え下さい。)
姫神、星吉昭さんの音楽に魅せられて来ました。
優しく清清しい中にも力強さのある楽曲が多かったですね。
もうライブで聴けないかと思うと残念でなりません。ご冥福をお祈り申し上げます