花言葉を解く懐かしさの方程式
2004年11月07日02:54
Mr.Childrenの最新アルバム「シフクノオト」の中に収められた「花言葉」。スリーコードを中心とした凡庸なコード進行と、マイナー(短調)志向の強く、裏切りのないシンプルなメロディライン、Bメロで3度で重なるハモリなど、フォークソングの“文法”そのものの楽曲だが、何故か私はこの曲にどうしようもなく惹かれてしまう。
歌詞に現れた「失われた夏の恋」というMr.Childrenのデビュー以来のモチーフの“懐かしさ”と、目新しい音楽性もなくオーソドックスだが優れたポップスとしての高い完成度が醸す“懐かしさ”。この2つの懐かしさのせいだろうか。
ピアノでの和音G。その響きに重ねて1拍遅れて重なる桜井のヴォーカルは「コスモスの花言葉に揺れながら」。リズム隊が加わって、バンドサウンドが息を吹き返す。
sus4による装飾があるとはいえ、和音「G」→「D」→「G」→「A」→「D」と歌い出しのコード進行はあまりに教科書的だ。この楽曲がフォーク的に聴こえるのは、歌詞や楽器の奏法、ボーカルの唱法などの「スタイル」によるのもさることながら、根本的には、特に序盤、コードとメロディラインの関係があまりに密だからだろう。
ありていにいえば、凡庸なメロディラインだ。何一つ、裏切りがない。しかし私は、このあまりに凡庸な一曲を聴くたびに、泣きたいような気持ちになる。
身の程を知らないまま
可能性を漁り
魔が差した僕にさよなら
夏の終わり
夏の終わり。「秋桜」とも表記するコスモスは、文字通り、秋に咲く花だ。
Mr.Childrenのコンテクストにおける「夏」は、いつも過ぎ去った過去の恋を象徴してきた。デビューシングル「君がいた夏」は、「君がいる夏」でなく「君がいた夏」だった。
夕暮れの海にほほを染めた君が
誰よりも何よりも一番好きだった
二人していつもあの海を見てたね
日に焼けたお互いの肩にもたれたまま
一日中笑ってた
麒麟ぐらい首を長くしてずっと
待っていたのがまるで夢のように
また夏が終わるもうさよならだね
時は二人を引き離して行く
おもちゃの時計の針を戻しても
何も変わらない Oh I will miss you
「一番好き」なのではなく「一番好きだった」。「笑ってる」のではなく「笑ってた」。1枚目のシングルからして、「夏」は二度と取り戻せない過ぎ去った時間として描かれている。ちなみに「君がいた夏」はMr.Childrenがインディーズ時代に作った楽曲で、当初のタイトルは、いみじくも「夏が終わる」だった。
そして「君がいた夏」の二人が行き着く先、すなわち「まるで夢のよう」だった過ぎ去った「夏」に対して、いつかは戻らねばならない時間と場所として置かれるのは「秋」だった。
秋が来れば僕らまた元の場所へ
戻ってくけど気持ちはこのまま
「思春期の夏~君との恋が今も牧場に~」も、そのタイトルからして、「夏」は過ぎ去っている。
昼も夜も待ち続けてた思春期の夏
あの牧場にあるベンチにいつも腰かけて
自転車に乗ってつゆ草をかきわけて行く
君をずっと眺めていた
アルバム「KIND OF LOVE」から「and I close to you」。
気付かぬふりが上手いから
あいつの裏切りも僕の想いも揉み消すつもりなの?
何にも言えずに別れた夏を悔やんでても虚しい
アルバム「深海」から「手紙」。
遠い夏を越えて 秋を過ぎて
あなたの事を想うよ
今でも会いたくて 寂しすぎて
愚かな自分を恨みもするけど
Mr.Childrenはその活動初期において「渋谷系」と呼ばれる一連の音楽的・文化的なコンテクストを取り込みながら、やがてそこから一歩踏み出していく。しかしながら、デビューシングル以来の“懐かしさの方程式”を、彼らの体質、あるいは体臭のようなものとしてどこかに保ち続けている。
彼らの歌う「夏」が、デビュー以来、その姿をほとんど変えずに来たのがその証だ。
■2つの懐かしさ
とはいえ、言うまでもないことだが、曲の作り手としての桜井和寿の経験と成長とが、楽曲のクオリティを高めていることは間違いない。「花言葉」は今の桜井にしか書けない曲だろう。
でありながら、冒頭に書いたようにコードとメロディの関係が密であるがために、例えば70年代のフォークソングとして聴かされたらそうと信じてしまいそうな気さえする。
寺岡呼人はこの“懐かしさ”の感覚を指摘しながら「花言葉」をこう評価する。
ここ最近、子供の頃テレビやラジオで聴いたポップスに、何故か懐かしさや、切なさや、優しさを感じた、“あの感じ”を今のポップスに感じなくなっていた。でも、この曲(引用者注:花言葉)を聴いた時、昔、不二家のCMで初めて聴いたユーミンの曲を耳にしたような甘酸っぱさを感じた。それは、正に“あの感じ”だった。
注目したいのは、寺岡が過去でなく同時代のポップスに対して“懐かしさ”を感じている点である。寺岡が“あの感じ”と表現した感覚は、the pillowsのボーカリスト山中さわおが「花言葉」を批評した次の一節にも通じるはずだ。
“マニアック”に逃げるのは簡単だ。平均的なミュージシャンを5年もやってりゃそれっぽい真似はできる。逆に10年前でも10年後にも聴けるポップミュージックを作るのには、優れた才能&度胸がいる。こういう曲(引用者注:花言葉)をサラッとやれるところに、ミスター・チルドレンの底力を感じたりもする。「口笛」とかもそうだったが、街で流れててふと「良い曲だなぁ」と思ってたらミスチルで…以下略
ポップスを作り続ける「才能&度胸」が桜井にはある。彼は売れ続けること、ポップス・ミュージシャンであり続けることを、ベスト盤を引き下げたライブ「POP SAULUS」で宣言した。だからこそ、70年代のフォークソングのような「花言葉」も書ける。オーソドックスでも、目新しくなくても、いいものはいい、のだ。
技法や時代が変わっても、揺さぶられる人間の裸のこころはそう変わるものではないから。じん、と胸に染みるような「10年前でも10年後にも聴けるポップミュージック」は、だから常にどこか“懐かしい”。
歌詞でいう過ぎ去った「夏」を思う「秋」の“懐かしさ”と、コード進行ゆえか楽曲自体の持つどこか不思議な“懐かしさ”。この2つの懐かしさの上に、およそ男性ならば誰もが一度は感じる、胸の奥底に引っ掛かって生涯抜けない棘にような鈍い疼きを歌詞として乗せるんだから、泣くなという方が土台無理な話なのだ。
■蛇足ながら、前略音楽評論家の皆様
ちなみに山中さわおの発言は、そのまま音楽評論家たちへの厳しい批判の刃となるはずだ。「こんなのはフォークソングだ」と阿呆な評論家はいうが、反論は簡単だ。フォークで何が悪い。
ダメなフォークはダメだが、いいフォークはいい。だめなジャズよりも、いいフォークの方が何倍もいい。そんな単純なことが分からない専門馬鹿の原稿をまとめる仕事をしていて、いい加減腹が立ってきたのでこの拙文を書いてみた。
最近は忙しいから副業をこなせる状況にないのだが、お世話になっていた雑誌の編集長に頭を下げて頼まれたのでやむを得ず受けた仕事だ。乗り気でなかった上に、そのジャズ評論家の書くポップス批評のレベルの低さには“定評”があったので、情を抑えてきっちり断るべきだった。
その慰めに「花言葉」を聴いている。
きっとあの評論家は、こんな楽曲を認めはしないだろう。単純なコード進行と、どこまでも分かりやすいマイナーなメロディラインを「斬新な音楽性が皆無」と切り捨てるだろう。彼らが「花言葉」を認めることができない理由はきわめて単純で、「花言葉」では彼らは「書く」ことがないからだ。
でも私たちは、「花言葉」を聴き、何も書かずに、語らずに、泣いていいのだ。
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コメント
すばらしい!池田蛇足、健在ですね
>キムさん
どもご無沙汰。お元気そうで何よりですね。
>評論・批評で「誉める」ことの難しさをちと思いました。彼らは「この曲、いいよ」とは書けないから、何か誉めるための材料が必要なんですよね。
という下り、まったく同感です。加えて、誉める=肯定することで自分を曝け出してしまうという恐怖感もあるんでしょう。貶したり批判している間は、自分の立ち位置を明確にせずに済みますからね。
>蛇足さん、音楽誌の仕事、復帰してくださいよ~
しばらくあの世界に戻るツモリはありませんです。ごめーん
>名無しさん
>本当に音楽に感動した人間にとっては、歌詞なんて有っても無くてもいいものだ。あなたは音楽を聴いていない。わかったような顔をして、他人を感心させて自己陶酔しているに過ぎない。あなたは音楽を聞いていない。
あなたのお考えはよく分かりましたが、「自分は音楽に本当に感動したんだから分かる」とここに示すことで自己陶酔されているのはあなたではありませんか?別にあなたに読んで頂かなくても私は別に何の痛痒もありませんし、あなたから購読料を頂いた覚えもありませんので、もういらっしゃらなくて結構ですよ。さよなら
>吉田さん
>詞と音楽両方あってはじめて歌なのだから、言葉を無視しては批評は成り立たないのでは
批評という行為自体が再生産行為なんですから、んなものはムダといえばムダに違いないわけで。それは詞を対象にしていようが、音楽を対象にしていようが同じだと僕は思っています。むしろ音楽評論の世界で問題なのは、…と書き始めようと思いましたが長くなりそうなので、コメントではなくエントリー(記事)でお返事します。
あ、あとですね
>いい気になっているのは匿名でこんなことを書き残しているあなただと思う
援護射撃をありがとうございました(笑
>ストッキングちゃん
>これは私の根拠のない統計なのですが、花言葉を好む人は男性に多いと以前から感じておりました
これは面白い指摘ですね。とある女性に「花言葉」は振った歌なのか振られた歌なのかを訊ねてみたところ、「非は自分にあるのに、相手に“振らせた”歌」という応えが帰ってきました。なんて男らしい歌なんだ(さいてー。
>歩さん
>ここは結局フォークでもジャズでもロックでもどんな音楽でも良い曲が良いって事を言いたいんですよね?んで他のジャンルの良さも分からない人が他のジャンルを批評していることに対しての怒りを感じたってことですよね?
そうです。その通りです。ポップスにおける歌詞の重要性については私も同意見です。
>ひとよたけさん
トラックバックいただきましてありがとうございました。コメントは「ひつよたけ日記」に寄せました。また関連記事を近々書きますので、それをお返事に替えさせていただきます。
私もひとことコメントを付けさせていただこうかな、と思いましたが、どうも自分の書きたい内容が、池田さんの記事に対するコメントというよりは、私自身の「ぼやき」のようになりそうなので、こちらでの混乱を避けるために、生意気に、トラックバックという方法をとらせていただきました。
きっと、お目汚しになるとは思いますが、もしよろしければ見てやって下さい。
>という文なのですがひょっとして吉田さんは匿名で投稿している方に言ったのですか??
そのとおりです。が、分かりにくかったかも知れません。気にしないでください。誤解が解けて嬉しいです
すいません!お詫びさせてください(泣
>吉田さん。匿名でとか言ってますがそれはあなたの方ではないでしょうか?メールアドレスを公表している人に対してメ-ルアドレスを公表せずに意見しているあなたが言うことではありません!
という文なのですがひょっとして吉田さんは匿名で投稿している方に言ったのですか??
そうでしたらスイマセンm(_ _)m
僕の早とちりです。
僕はてっきり蛇足さんに言ってるのかと。。。
ホントスイマセンでした。
「花言葉」いい曲ですよね(^^
蛇足さんの言うとおりでシンプルな中に人の心をぐらぐら感じさせる何かがありますよね。
一つ疑問に思ったのですが、
>ダメなフォークはダメだが、いいフォークはいい。だめなジャズよりも、いいフォークの方が何倍もいい。そんな単純なことが分からない専門馬鹿の原稿をまとめる仕事をしていて、いい加減腹が立ってきたのでこの拙文を書いてみた。
(中略)そのジャズ評論家の書くポップス批評のレベルの低さには“定評”があったので、情を抑えてきっちり断るべきだった。
って文なのですが、ここは結局フォークでもジャズでもロックでもどんな音楽でも良い曲が良いって事を言いたいんですよね?んで他のジャンルの良さも分からない人が他のジャンルを批評していることに対しての怒りを感じたってことですよね?
あってます??
あとコメント書き込んでいる人で、
詩のあるなしで曲の良さがどうのって言ってますけど正直どっちでも良い曲はありますよ。
詩は曲を作る一つの要素です。そしてそれは確かに優れたポップスにとっては重要な要素だと僕は思います。時として楽曲と絡み合いすばらしいポップソングになり、また時としてまったく詩を必要とせずに楽曲のみで感動を与えられる曲もあります。
ですがそれでこの文ににケチつけるのははっきり言ってこの文の言いたいところとはなんら関係ないのですからf(^^;
そして最後にもう一つ。
吉田さん。匿名でとか言ってますがそれはあなたの方ではないでしょうか?メールアドレスを公表している人に対してメ-ルアドレスを公表せずに意見しているあなたが言うことではありません!
花言葉の方程式、読み応えがありました。大満足でございます。
白状すると、私も初めてこの曲を聴いたときに、ただ一行、「フォークソングかと思いました。」と某所で書きました。
曲調もさることながら、まさしく冒頭の
魔が差した僕にさよなら
夏の終わり
にある、体言止めの繰り返しがとても懐古的に感じられたからです。
フォークソングがダメだという訳ではないんですが、私の中では、この曲がアルバムの主役にはなり得なかった。
どちらかというと、コントラストとしての役割と位置づけていました。
さて、これは私の根拠のない統計なのですが、花言葉を好む人は男性に多いと以前から感じておりました。ですから、
>およそ男性ならば誰もが一度は感じる、胸の奥底に引っ掛かって生涯抜けない棘にような鈍い疼き
という池田さんの言葉が非常に興味深かったんです。
そういえば、男性は女性に比べて、たやすく童心にかえることができるのだそうです。
女性の第二次性徴等の段階が劇的であるのに対して、男性はゆるやかに変化していくので、後戻りもしやすいのだとか。
「少年の様な心をもった男性」というのも、よく耳にする言葉ですよね。
自分の鈍感さを、性差のせいにするつもりはないのですが、花言葉に泣かされる池田さんを垣間見ると、ちょっと羨ましいような疎外感を感じてしまいます。
音楽をやっている元少年達は、花言葉が好きなんだなーと。まさにMr.Childrenだなって。
と言いつつ、元少女達も、音楽談議をわやわややっている男の子を見ているのが、結構好きだったりするのでした。まる。
詞と音楽両方あってはじめて歌なのだから、言葉を無視しては批評は成り立たないのでは
いい気になっているのは匿名でこんなことを書き残しているあなただと思う
本当に音楽に感動した人間にとっては、歌詞なんて有っても無くてもいいものだ。あなたは音楽を聴いていない。わかったような顔をして、他人を感心させて自己陶酔しているに過ぎない。あなたは音楽を聞いていない。
音楽の中で、言葉で語ることのできる部分に、一体どれほどの価値があるというのか。
相変わらず蛇足さんのミスチル評はレベル高いすねー。
音楽評論家への下りを読んでいて、評論・批評で「誉める」ことの難しさをちと思いました。彼らは「この曲、いいよ」とは書けないから、何か誉めるための材料が必要なんですよね。オーソドックスな曲は、だから誉めにくい。
貶すのは、もっと簡単ですけど。ないものねだりすればいいんだもの。
蛇足さん、音楽誌の仕事、復帰してくださいよ~