往年の軍都にて
2005年11月06日22:36
広島県呉市。広島から海岸線を南下する単線のローカル線、呉線に40分ほど揺られて、半島の舳先でぐいっと東に進路を変え、いくつかの短いトンネルを抜けると、この地方都市が姿を現す。人口はおよそ20万人。
呉の街に降り立ったのは初めてだった。
戦前に海軍の御用工場(呉海軍工廠)があったこの街で、およそ65年前、今なお記録が塗り替えられることのない世界最大の巨大戦艦が建造された。「大和」という船だ。「大和」がどのようにして造られたのかを知るために、この街にやって来た。
「大和」は、当時の工業技術の粋を集めて建造された。ほぼ東京駅と同じ大きさの鉄の船を安全に建造する「造船技術」はもちろん、厚さ40センチの甲鉄(アーマー)を鋳造する「製鋼技術」、敵艦をいち早く発見するための大きさ15メートルに及ぶ巨大な測距儀を生み出した「光学技術」、口径46センチの大砲から弾を40キロ先にまで飛ばす火薬を調合する「化学技術」、その圧力に耐える砲身を製造する「鍛造技術」…。「大和」を建造するために呉工廠に結集された数々の要素技術は、戦後日本のモノ作りの中に生かされていくことになる。
呉工廠出身、85歳の元・造船官のN氏は、かくしゃくとした口調で往事を語ってくれた。
「大和という船を作り出した呉の船造りの技術は、そらあ世界一じゃと思っております」
その苦労話を、メモを取りながらお聞きしていると、背筋がぴんと伸びて来た。戦後、GHQの指令で、自らが手塩にかけて造り上げた船を解体し、くず鉄にして売りさばいた時の悔しさ、戦後10年で世界最大のタンカーを建造した造船官たちの誇りなどを、N氏は激情に走ることなく淡々と語った。
4日に及ぶ取材を終えて、19字詰め500行余りという入社以来最長の原稿を書き終えたときはもうぐったりしてしまったのだが、その数日後、記事が載った雑誌を読んだという父親から電話がかかってきた。
「大和の記事を書いていたな」
「うん。書いたけれど、どうかした?」
「お前のおじいちゃんの本籍地は、呉の本通りなんだよ」
奇縁だった。原稿中に
町を南北に貫く二本の大通りをそれぞれ中通、本通と呼んだ。中通はカフェや映画館、遊技場などが並ぶモダンな繁華街で、本通には煉瓦造りの銀行や商社が軒を連ねた。
と書いたが、まさかそこに自分の祖父が生まれ育っていたとは知らなかった。
調べた資料の数、会った人の数、取材延べ時間、書いた原稿量、いずれを取っても、本業で手がけたこれまでの仕事の中では群を抜いている。加えてこんな因縁めいたオマケまで付いたから、何だか生涯忘れられない仕事になりそうだ。
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コメント
>tempaさん
豪華って(笑)
>あゆむさん
ありがとうございます。こちらも久しぶりに更新意欲が上がってます(ムラありすぎ・・・)。また来てくださいね
>みくしん
ありがとさん。新年には姫に会わせてくだされ
復活おめ。
あれはいい話だったね。淡々と,しかし何かに引っ張られるように書かれていたような。
あるべきでなかった時代の,でも現代では在りようのないほどの,努力と誇りと。
読みたいです。蛇足さんの19字×500行の「ヤマト」原稿!!そんな豪華なものをどこの雑誌(?)に書かれているのでしょうか!?