深海に置かれた椅子
2005年12月24日12:36
90年代を駆け抜けたポップスグループ「Mr.Children」。1995年前後から、独走するセールス、高まる名声と反比例するかのように、桜井和寿の精神は深淵に沈み込もうとしていた。アルバム「深海」のジャケットに鮮やかに描かれた、深海の底に置かれた椅子。音も、空気も、光さえ届かないその深淵で、桜井は誰に向かって歌うのか。精神の深海に惹かれ、苦しみ、そこから抜け出した魂の遍歴を追う。
(この記事は2002年4月に刊行された「音楽誌が書かないJポップ批評」17号に初出、加筆修正の上「鉱雀記」に転載し、再び再録したものです)
死を想う桜井和寿
「退屈なヒットチャートにドロップキック」(everybody gose)と歌いながらも、ポップスであることを引き受けていた彼らが変わっていったのはいつ頃からなのか。「100万枚売ろう」(桜井)という目標が93年に「CROSS ROAD」で達成されたのち、「退屈なヒットチャート」は彼らにとって本当に退屈なものになってしまった。追討ちをかけるように、桜井自身の私生活が興味本位の報道にさらされる。
桜井のインタビュー記事に「死」という言葉が見え始めるのはちょうどこのころだ。
桜井が「人生の中での最高傑作」という「【es】~theme of es~」がリリースされたのが95年。人間の深層にある内なる衝動「es」を「テーマ(主題)」としたこの歌から、桜井の書く楽曲はどんどん内向きに変わっていく。聴き手が心地よい時間を過ごせるように曲を作ることがポップスの基本であるとしたら、答えは桜井の内面ではなく、彼の外にあるはずだ。にも関わらず、彼らは内面への潜行を始めてしまうのだ。
96年にリリースされたアルバム「深海」は、彼らの内面という「深海」に潜行する一体の潜水艇(1曲目(SE)は「Dive」)にリスナーたちを乗せて、その小窓から浮かんでは消えていく泡沫のような歌たちを眺めやる。「僕の心の中に君が確かに住んでいたような気さえもする」と「シーラカンス」に歌いかけるとき(シーラカンス)、歌の世界の一切は桜井の中にある。
「過ぎ去りしあなた」への思いを切なく歌いながらも、遂に“他者”としての「あなた」を獲得できないまま、「花ゆれる春なのに」と歌を終えてしまう<他者不在のラブソング>というパラドックス(手紙)。さらに「愛は消えたりしない愛に勝るもんはない なんて流行歌の戦略か?」(ありふれたLoveStory)と「抱きしめたい」以来、彼ら自身が歌い上げてきた浪漫主義的な恋愛観を否定してみせる。
そして行き着くのは「生」の否定、つまり「死を思え(メメント・モリ)」(花 -mement-mori-)だった。「今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ」(深海)―― 桜井の書く曲は、“文学”であることを放棄して、“哲学”であることを始めてしまったのだ。しかも読み手不在の。
少なくとも桜井和寿というシンガーソングライターが、本来彼のパトスで“歌う”べきものを、「es」「メメント・モリ」といった言葉を使ってロゴスで“語る”ことを始めてしまったことは確かだ。
苦吟する魂が生んだ珠玉の名盤
桜井の精神は、この「深海」を世に問うことで、絶望的な戦いを始めざるを得なかった。ただし、それゆえに「深海」を価値の無いアルバムと断じるのは早計だ。「深海」の価値は、むしろその病的なまでに内省的で繊細な、そして同時に捨て鉢でヒステリックな歌詞、ポップスであることを否定しようと、プログレッシブロックの影響を受けつつ、もがき苦しむ音作りにある。筆者は、彼らのアルバムで1枚挙げよと問われれば、迷うことなく「深海」を推すだろう。
「深海」はあまりにコンセプチャルな作りだったので、97年にアルバム「ボレロ」をリリース。「深海」に収録されなかったシングルたちが収められた。全10曲のうち5曲がシングル曲という、よく言えばどんなファンにもわかりやすいベスト盤に近い性格のアルバム、意地悪な言い方をすれば“寄せ集め”のような印象を受けるアルバムに仕上がった。
このアルバムに収録されている「ALIVE」について、彼らは「僕らが今一番やりたい曲はこれ」と胸をはっていたが、やや穿った見方をすれば、「生きている」という曲名をつけたこの曲に寄りかからねばならぬほどに桜井の傷は深かった。
「ALIVE」。物語を愛し、歌を愛した男が最後に信じられたのは、たったこれだけのことだったのだ。生きている、ということだけ。彼らが歌いつづけてきた、生命や動物であることを超えたところにある、あらゆる「人間くささ」から目を逸らし、ただ今日も明日も同じように生きていく、それだけを歌にした。
彼らが「活動停止」という結論を選ばざるを得なかった最大の必然は、ここにある。
活動停止からの紆余曲折
Mr.Childrenは、「ニシエヒガシエ」のリリースを唯一の例外として、およそ1年半、ミスチルは音楽活動を停止した。
その理由はさまざまに報じられた。いわく、小林武史と桜井和寿との不仲が原因だ、いわく、私生活(=不倫)に対する過剰な報道に嫌気がさした。一方で本人たちは、疲れたから休息するだけだと笑った。
活動再開を飾ったのは98年10月にリリースしたシングル「終わりなき旅」だ。次いで、アルバム「DISCOVERY」をリリースした。
「発見」と名づけられたこのアルバムについて、音楽ジャーナリズムは「深海の底からの帰還と再発見」という“読み”を与えた。「マイナス志向で悩みまくった結果 この命さえも無意味だと思う日」を振り返りつつ「考え過ぎねって君が笑うと もう10代のような無邪気さがふっと戻んだ」。そして「探してたものは こんなシンプルなものだったんだ」(Simple)。一見、どこまでもずぶずぶと内面を潜行する悪循環から解放されたようにも思える。しかし、じゃあその「探してたもの」って何なのさと問うとき、「簡単そうに見えてややこしく 困難そうに思えてたやすい そんなLaLaLa」(ラララ)と、あまりにも言葉が足らない。
けだし彼らは「DISCOVERY」では、ロゴスを捨て去ることができなかったのだ。何百万人というリスナーの心を振るわせる曲を作り出してきたのに、何かすでにあるものを「発見」しようとしていたから。何かを見つけようという「終わりなき旅」をやめた瞬間に、彼らは「深海」に潜るための潜水服を脱ぎ捨てた。
アルバム「Q」の販促ポスターは彼らの復活宣言だった。メンバーは「深海」に潜るための潜水帽を脱ぎ、指を立てて楽しそうに笑っている。
トラックバック
trackbackURL:








コメント
深海のジャケデザインを決めるときに、桜井がアンディ・ウォーホールの『死刑囚の椅子』(だっけ?)のポスターをアートディレクターに持っていったんだそうです。
深海に置かれたいすの意味についての記述って前ありました?もしあったなら残しておいて欲しいです。なかったならすみません。