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「くるみ」逆接を超えてラブソング

2005年12月25日01:20

掌 / くるみ「逆説(パラドクス)」ではない。「逆接」、つまり、相対するものを繋ぐための接続詞だ。アルバム「It's a wonderful world」以降、Mr.Childrenと桜井和寿が取り戻しつつある浪漫主義から生まれたいくつかのラブソングは、「深海」的な世界観と、その浪漫主義とを「逆接」で結んでいる。換言すれば、「深海」的な世界観から「逆接」を超えてラブソングが生まれつつある。「くるみ」という新曲もまた、そのコンテクストで理解できる。

(この記事は2003年12月に「鉱雀記」に掲載された記事「逆接を超えてラブソング」を一部修正の上、再録したものです)

「君」の物語、「自分」の物語

以前「変容する君」で書いたが、デビュー当初のMr.Childrenは、わずか数分のうちに「君」の物語を見事に構築して見せてくれた。

「君」という言葉は、「僕(自分)」があって成り立つ二人称だ。しかし「君」が歌詞中に出てくることがあっても「僕」が出てくることは稀だった。あくまでも「君」という二人称に対する関係性の歌だったといえる。言うまでもないが、その関係性の中でMr.Childrenが最も多く歌を作った主題は恋愛だった。つまり、「君」への「ラブソング」。初期ミスチルの代表作「抱きしめたい」はその最も典型的な例だった。

しかしながら、Mr.Childrenというバンドが“ミスチル現象”とさえ言われるような大ブレークを迎えるのは、むしろ彼らの歌う対象が「君」(または「君」へのラブソング)から「僕(自分)」に変わってしまってからだろう。

黄昏の街を背に抱き合えた あの頃が胸をかすめる
軽はずみな言葉が時に人を傷つけた そして君は居ないよ
窓に反射する哀れな自分が 愛しくもあるこの頃では

その傾向が始まったのはこの「innocent world」からだ。「君はいないよ」と「君」の不在を歌い、「哀れな自分」を「愛しい」と歌う。

とどまる事を知らない時間の中で
いくつもの移りゆく街並を眺めていた
幼な過ぎて消えた帰らぬ夢の面影を
すれ違う少年に重ねたりして

この「Tomorrow never knows」の冒頭は、曲中の〈僕〉の心象風景と考えて差し支えないはずだ。あるいは、

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ

「名もなき詩」は、冒頭「君」へのラブソングであるかのような始まりながら、やがて内省の歌になってしまう。

そして、「es戦略の功罪」でも述べたが、「【es】~Theme of es~」という曲では、二人称に自分の内面である「es」を置き、「僕を走らせてくれ」と呼びかける。

「君」という〈他者〉に対する関係性が、「僕(自分)」という自己言及的なものに収斂すれば、あとは自分の内面という「深海」に沈みこんでいくしかない。

「君」に対する愛、憎しみ、嫉妬など、関係性の中でこそ生まれるどろどろとした人間の深淵とは無縁な「自分探し」を、自分の内面という深海、太陽光線も届かぬ無菌地帯=innocent worldで初めてた桜井和寿にとって、活動停止までの経緯は必然だったといえる。
この時期にリリースされたMr.Childrenの社会批判の歌が、筆者にとって“薄っぺら”なものに見えるのはそのためだ。自己の内面に閉じこもっていれば、外の社会は汚らわしくも見える。不条理にも見える。それは“引きこもり”の社会批判にも似て、その社会に生きている人には響かない。その汚い、不条理な社会の中で生きてこそ、その足場をリアルに批判できるはずだ。

逆接を超えて若き日(youthful days)へ

2枚組のベストアルバムと、「It's a wonderful world」をリリースする頃から、彼らはまた変わってきた。相次いで発表され、「It's a wonderful world」に収録された2枚のシングル「youthful days」と「君が好き」は、その変化を象徴する。「君が好き」は、“「君」への「ラブソング」”という初期ミスチル、すなわち彼らのyouthful daysの王道を、そのままストレートに曲名にしている。

しかし、これは単純な回帰ではない。「深海」的な自己言及によって傷ついた桜井和寿は、もうかつての「抱きしめたい」のようなストレートなラブソングは歌えない。「深海」という内省の世界の中で、永遠無限の自己言及を続け、そのあまりにも純粋すぎる「innocent world」から見える社会の汚らわしさや、そこに充満している悪意といったものに深く傷つきながら、彼はそれを乗り越えて〈他者〉へ、おずおずと手を伸ばした。「逆接」を超えて。

ずっとヒーローでありたい
ただ一人 君にとっての
ちっとも謎めいてないし
今更もう秘密はない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての

「謎めいて」も「秘密」でもない、剥き出しの、生身の「自分」をさらけ出しながら、それでもなお「ヒーローでありたい」と歌い上げる「HERO」。

僕の手が君の涙拭えるとしたら
それは素敵だけど
君もまた僕と似たような
誰にも踏み込まれたくない
領域を隠し持っているんだろう

君が好き
この響きに潜んでる温い惰性の匂いがしても
繰り返し 繰り返し
煮え切らないメロディに添って思いを焦がして

「君が好き」ではもっと顕著だった。

「僕の手が君の涙拭えるとしたら、それは素敵」といいつつ、「逆接」を挟んで「君もまた僕と似たような、誰にも踏み込まれたくない領域を隠し持っているんだろう」と、内面の「深海」を歌う。その後にサビで「君が好き」。逆接の接続詞こそないが、再び「君」へのラブソングを取り戻す。さらにその後、「君が好き」という言葉の響きに「温い惰性の響き」を感じつつも「思いを焦がしていく」。二転三転する歌詞は、桜井自身がいみじくも言うように「煮え切らない」。

希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ

「くるみ」もまた、ストレートなラブソングではない。というより、別れの歌ととして聴く人が多いだろう。ここでもやはり「希望の数だけ失望は増える」と諦観を見せながら、「逆接」を超えて「明日に胸は震える」と歌い上げる。

「くるみ」は確かに別れの歌だろう。しかし別れに傷つく内面の歌ではない。「明日」という「未来」は、〈他者〉の関係性の中にだけあり得る。自己の内面をどれだけ深く掘り下げても、その深淵に散らばっているのは、自らの過去の経験や記憶の断片に過ぎない。〈他者〉との関係性の中にこそ、不確実な未来があり得るのだ。

未だ見ぬ明日へと、「逆接」を超えてラブソング。「くるみ」という曲名は「未来」をもじったものだという。

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