最果ての駅に降り立ち、雪明かり。
2006年05月15日14:15
レールの継ぎ目を車輪が乗り越える振動が規則正しく座席を揺らす。車窓の外を覗いても見渡す限り真っ暗で、眠そうな自分の顔がただ映っているだけだ。その向こうに時折、踏切の赤い光や、民家の窓から漏れる白い明かり、けばけばしい色遣いの看板などが見える。
上野駅から乗り込んだ列車は、私を北へ、北へと運んだ。終点の黒磯で降りて、乗り換えた列車はさらに北へと進んだ。
何も見えない窓の外を眺めながら、私は規則正しい列車の振動を腰と背中に感じていた。この揺れと振動とを、上野からもう何度感じたことになるのだろう。振動の数に一つ加えて倍にすれば、私が乗った列車が踏みしめてきたレールの数になる。おそらく数千を超える鋼鉄を乗り越えてきたはずだ。
二本の鉄路は途絶えることなく、上野駅から今ここに至るまで敷き詰められている。北へと向かうこの二本の鉄路は、しかしあと数分もすれば終着点を迎える。始まりがあるものはいつか終わる。私の気ままな旅も、もう数分で終わる。
ボウモアで痛んだ胃壁をいたわるために最後に飲んだレッドアイの香りを鼻の奥に感じたまま、私は上野、天神下のバーを出た。冬の土曜日、ようやく空が朝焼ける時分の上野公園下は、店じまいした飲み屋が出す生ゴミを目当てにカラスが姦しい。
穴蔵のような店で何時間かウイスキーを舐めてきた私の頬や額は、自分では感じないが、皮脂にタバコの煙がからみついたような匂いがしているだろう。そんな不快さや汚れが、刺すような冬の寒気に触れていると、どこか清められるようで心地よい。
それが十何時間か前の私だ。
自宅に帰るために上野駅の改札をくぐった私は、しかしなぜか、乗るべき列車の隣のホームで発車を待っていた、北に向かう列車に乗り込んでしまった。ホームの行き先案内板に「黒磯」とあったのをしっかりと見たから、乗る列車を間違えたわけではない。この行動に確たる理由はなかったが、乗るべき列車の座席シートが味気ないロングシートだったのに対して、北へ向かう各駅停車のそれは居心地のよいボックス席だったことが、強いて上げれば理由と言えなくもない理由だったろうか。程なく私は眠り入ってしまい、目を覚ませば宇都宮を過ぎる頃だった。
それから何度か列車を乗り換えた。初乗りの切符を持つばかりだった私は、検札に来た車掌に事情を説明し、乗っている列車の終点だった一ノ関駅で下車して、目的地までの切符を買い求めることにした。「青森まで」と告げる私に、駅員は、特急券はいらないのかと尋ねたが、私は首を横に振った。
列車は、青森駅に着いた。
金曜日の朝に会社に向かうために家を出たままの格好で、カバンを手にネクタイを締めたまま、私のほか誰も乗っていないこの最終列車から足を踏み出した。雪こそなかったが、ホームの空気は質量を感じるほどに冷たく、薄っぺらいコート一枚ではあまりに寒かった。
ここが、北に向かってひたすらに敷かれた二本の鉄路が行き着く場所だ。私は白い息を吐きながら思った。
駅を出て、港に向かって歩き始めた。レールの行く手を遮る荒海、津軽海峡を見たかったからだ。歩いて数分、かつて青函連絡船が錨を下ろした埠頭に行き着いたが、港を照らす明かりの向こうはどこまでも真っ暗で、津軽海峡はもちろん、その遙か北海道も見えるはずもない。
湾内だったせいか波は静かで、停泊している船がゆったりと上下に揺れている。しかし、私は聞いた。吸い込まれそうな暗がりの向こうから、低く力強い何か獣の叫び声のような音を。コートを着ていても寒さから身を守れそうにない私は、その雄叫びのような海鳴りに、原初的な恐怖を覚えた。
視界を得やすくするためか、湾内を照らす電灯にはオレンジ色のカバーが掛けられている。コンクリート打ちの防波堤やテトラポットや、そこに立つ私が、その照明の中でオレンジ色に染まっている。そこで私は、また海鳴りを聞く。
交番の警官か駅員に相談すれば、男一人が泊まる宿くらいは紹介してくれるはずだ。来た道を駅に向かって戻りながら、風が吹く度に、マフラーくらい持って来れば良かったと後悔する。その寒さのせいか、背後から追い被せるように逃げようのない海鳴りが聞こえてくるせいか、知らず早足になる。
歯が噛み合わない。
その道すがら、赤提灯を見つけて暖簾をくぐると、「もう店じまいなんです」。寒いから燗を一つだけつけてくれないか、と頼むと、やれやれという顔で安酒を温めてくれた。およそ二〇時間ぶりにアルコールを吸収した胃袋がようやく温まり、炙った一夜干しを少し急いで食べた私は、店の親父が教えてくれたホテルに向かって歩き始める。
暗い空から、雪がちらほらと散り始めた。
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コメント
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>のりこさん
今やれと言われても私もできません。あのころもっと旅をしておけば良かったと思います
>smile
ありがとうです。でもまあこれ、描写力、というほどのものでもありませんが、ちゅーか恥ずかしい(笑)。脊髄反射で書いてるので
>山もと山
鋭いねえ
>あゆむさん
ありがとうございます。でも、続編はありませぬ(笑)。ちゃんとした物語が漫画だとすれば、これはイラストみたいなもんなので。意味も教訓もなくて、ただ青森に行くということを描きたくなっただけなんです。すんません
毎度のごとくすごく面白かったです!
列車に飛び乗った男の心の中にあったのは何だったのでしょう?すごく興味深いです。
冒頭部のように感じられたのですが続きはあるんですか?
蛇足さんは、雑誌休刊が決まると、急にブログを更新し始める習性がありますね(笑
お久しぶりの創作モノですね。
とはいえ、実際の体験に基づくのでしょうから、ほとんどノンフィクションか。
気の早いノースリーブの部屋着姿で読んでいたら、なんだかぶるぶるっと寒くなってきました。笑
さすがの表現力、描写力。
いいですね、気ままな旅。今度やってみようかしら