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「半落ち」に脱力

2006年05月22日17:09

半落ちDVD借りてきて、ちょっと前に話題になった「半落ち」を観た。映画を観て商売抜きにものを書くということをしたことがないが、あまりにひどい映画で唖然としたので、商売抜きだからこそ書ける罵詈雑言を吐き出してストレスを発散しようと思う。ちなみにワタクシは原作は読んでないので、あくまでも映画作品だけを対象にした悪口だ。


ステレオタイプの登場人物たち

登場する人物たちの描かれ方があまりに典型的で、もはや漫画だこれは。現場叩き上げの敏腕刑事と、事なかれ主義の県警上層部の対立。「事件は会議室で起ってるんじゃない」とか言い出しそうなこの刑事は、まるで「踊る大捜査線」の青島刑事(織田裕二)だ。この刑事はしかし真実を明らかにできないまま、ねつ造した調書を送検する。

この調書を受け取るのは、自らの正義を強く信じ、真実を見極めるためには警察と対立することも厭わず、捜査権を行使しようとする若手検事。こちらは「HERO」の久利生検事(木村拓哉)そっくり。しかしやっぱり、検察上層部からの圧力によって、警察に不信を持ちつつも捜査権を行使できない。

さらに全国紙地方支局で現地採用され、いつか本社に上がりたいと夢見る女性記者。デスクと不倫しながらスクープを虎視眈々と狙っていたけど、やっぱり取材現場(県警)で結んだ約束を、本社の圧力によって反故にしてしまう。

これら同心円的に、多重に書き込まれた「現場」と「上層部」という対立が、物語の本筋とまったく関係ないところがすごい。警察官だった梶容疑者は、この「上層部」の意向にかかわらず、もとより自らの“空白の2日間”を隠すつもりだったのだから。

そして誰も救われなかった

梶が“空白の2日間”を黙秘していたのは、自らが提供した骨髄を移植した青年に会いに行っていたという事実を隠すためだった。ではなぜその事実を隠さなくてはならなかったのかという点については、(おそらく原作では書き込まれているものと推察するが、映画の中では)仄めかされるだけで、明確な説明がない。

断片的に描かれた情報を元に考えると、骨髄移植を受けた青年をマスコミから守るため、というのが主な理由であるようだ。

しかし、先に紹介した新聞記者、刑事の活躍によって裁判中に青年の存在が明らかにされ、傍聴しているマスコミの知るところになる。つまり、梶の意思は結局全うされていない。

梶の意思を曲げてまで、なぜ弁護士や検事までもが、“空白の2日間”の梶の行動--歌舞伎町のラーメン屋に、骨髄移植した青年に会いに行っていたという行動を裁判中につまびらかにしようとしたのか、観ていてさっぱり分からなかった。

妻殺害後の“2日間”に、妻の遺体を放置したまま歌舞伎町で遊興していたのなら、確かに梶の殺人行為が「嘱託殺人」であるという線は主張しづらくなる。しかし梶は、“2日間”は死に場所を求めて彷徨っていた、と主張している。

死に場所を求めて県内をうろついていても、骨髄の提供を受けた青年に会いに行っても、妻の懇願に応じて殺したという事実は変わらないし、情状酌量の余地が増減するわけでもない。つまりこの裁判では“2日間”が争点になっていないのだ。

にも関わらず、検事や弁護士は梶に証拠を突きつけて、“2日間”を明らかにしようとする。もし“2日間”の真実が明らかになったとしても、梶の罪状は変わらないのに。しかも、青年をそっとしておいてほしいという、梶の最後の願いも踏みにじられるというのに。

現場と上層部との軋轢に苦しみながら、「真実」を求めて奔走する、刑事、記者、検事、弁護士たち。しかし彼らが「真実」を手にしたとき、結局誰も救われなかった。問題は、それを意識的に描いているフシがないってとこだ。


隠蔽された「殺人」ということの重み

この映画の最大の問題は、梶がなぜ妻を殺したのか、殺さねばならなかったのか、という描写が十分になされていない、ということに尽きる。

アルツハイマー病に冒された妻が「殺してくれ」と懇願したから、殺した。これが、映画の中で語られる唯一の動機だ。そして裁判の終盤で梶は涙を流して言う。「私は妻を愛していました」。これがその動機を裏付ける梶の感情ということだろう。

しかしそこに十分な説得力があったとは私には思えなかった。

この映画の中で、妻を殺したシーンが描かれることはついにない。泣きながら梶にすがって「殺して」と哀願する妻と、扼殺されて遺体になり布団に寝かされた妻しか描かれていない。

殺害のシーンが描かれないことには意味がある。痴呆の進む妻に哀願され、やむなく、愛するが故に殺した、という泣ける“美談”に仕立て上げるためには、殺害シーンというオドロオドロしいシーンを隠蔽しなければならなかった。頸動脈をせき止められた妻の目は充血し、上がる脳圧に涙を流したかも知れない。「殺してくれ」とは言ったものの、夫の腕が首を絞めるなか、迷い生じたかも知れない。でも、そんなことを観客にイメージさせてはこの映画は成り立たなかったのだろう。

また、映画のなかで描かれる梶は、髪は乱れ、髭が伸び、いつも肩を落としている。拘置所のなかでは折り目正しく正座して茶碗と箸を使う。徹底的に、無力な姿が描かれる。

しかし、その腕は、妻を扼殺したとき、人間の生命を停止させるだけの力を込めて力瘤を作り、血管を浮かび上がらせていたはずだ。

それでもなお、殺してしまった。殺さずにいられなかったというなら、もっとそこを描かないとさ。裁判で梶に「愛してました」って言わせるだけでそれを描いたつもりなら、まったく足りていない。そこを描ききれずに、何が純愛映画か、何が泣かせる映画か。

点数を付けろと言われたら、100点満点で20点くらいの映画だった。樹木希林の演技と、高島礼子と娘のやり取りにそれぞれ10点。

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コメント

>ビギナーさん

原作を読んですっきりしたくなるような映画でした・・・近々、読んでみます

by 池田蛇足@管理人(2006年05月23日 13:57)

テーマを盛り込みすぎて失敗してしまった作品の典型例。全く反論の余地はありません。

ただ、原作の方はなかなかの「半落ち」。
すなわち、各章ごとに主人公が異なる構成が採られていて、一種の短編小説のように楽しめます。ただ、物語の結実がDVDと変わらないのはマイナス要素でしょう。

by ビギナー(2006年05月23日 01:50)

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