両城の階段住宅
2006年05月26日17:23
海田市駅で山陽本線と分かれたJR呉線は、単線、進路を南に取る。呉の町に入るために、直角に近い角度でぐいと東に曲がり、短い隧道を抜けると川原石という小さな駅がある。この駅の前後、左手の車窓には断崖が見える。灰ヶ峰が呉を守る北の要害とすれば、この断崖が東のそれになる。
車窓から首を出すようにしてこの絶壁を見上げると、その上部にへばり付くように住宅が並んでいるのが見て取れる。
崖のようなこの土地は、両城と呼ばれている。崖の上に並ぶ家に行き着くには、長い石段を登るほかない。住民の高齢化が進み、階段を登れないために引きこもりになる老人もいると聞く。私の体力でも、息が切れる。
登って来た階段を見下ろすと、この「両城の階段住宅」と呼ばれる住宅地が、いかに異様なものかがよく分かる。
土地に乏しく、日本中から住民が集まる東京や大阪などの大都市ならいざ知らず、いや大都市圏ですら、このような危険極まりない崖上の土地に住宅を密集させたりはしない。なぜ、呉という地方都市に、「階段住宅」なるものが生まれたのか。
思い立って、住宅の一軒の呼び鈴を鳴らした。奥からテレビの音が聞こえる玄関口で、80歳になるという老婆は教えてくれた。
「ここは救急車も上がるのが大変で、レスキュー隊も担架を担いで階段を登って来るんじゃけ」
呉にある海上保安大学校の訓練生たちは、鍛錬のためにこの階段を、酸素ボンベを担いで登るという。「海猿」という映画を私は観たことがなかったが、その劇中、この両城で実際に撮影されたシーンがあるらしい。
「大和」と一見、何の関連もない階段住宅について触れるのには理由がある。実はこの階段住宅が「大和」を生んだのだ。
そう書けば奇異に感じられるかも知れない。だから私は、この異様な住宅造成と「大和」との関連について、時計の針を60年以上戻すことで説明したい。それがこの稿を書く目的だ。
老婆にお礼を告げて、私はせっかく登った階段を再び一歩一歩降り始めた。
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コメント
>おやぎ
内子には2回、行ったことがあるよ。内子座の近く、町並み保存地区の旧街道沿いに、町家を改造して貸し切りしてくれる宿があってオススメ。一階は喫茶店なんだけど、雰囲気がとても良い。そこのマスターが教えてくれた、徒歩5分くらいのところにある小料理屋がまた爆裂に素晴らしい。鯛の白子だの、刺身だの、オコゼの煮付けだの、食べきれないくらいの魚を食膳に並べてくれて、最後に蛸の炊き込みご飯まで出て、料理は2人分合わせて4000円という安さだった。また行きたいなあ・・・
両城の階段住宅! う~ん。何だかとっても惹きつけられます。機会があったら、いつか訪れてみたいものです。
以下まったくの私事ですが、来月、愛媛へのひとり旅を計画しています。もっとも敬愛する作家、O江K三郎生誕の地、内子市大瀬を訪ね、あの“森”を感じ、また高校球児ではありませんが、記念にそこの土なども採ってこようかと思っておりますw。
まさに聖地巡礼の旅という感じで、いまからドキドキしています……。