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Mr.Children1989-2006(2):ポスト・バブル時代を牽引した90年代POPの覇者

2006年06月24日12:02

iw.jpg90年代を駆け抜けたポップグループMr.children(以下、ミスチル)の軌跡を追うシリーズ「Mr.Children1989-2006」(全5回)の第二回。鳴かず飛ばずだったミスチルのCDセールスが飛躍するきっかけは、初ミリオンセールを記録した1993年『CROSS ROAD』のリリースだった。バブル時代の「相手探し」からポスト・バブル時代の「自分探し」へと、時代の心理が移り変わるとき、その変化に呼応するかのように「僕」の歌を歌い始めた桜井和寿が圧倒的に受け容れられ始める。ただし、「僕」を掘り下げ始めた桜井に与えられた「es」というキーワードは、桜井を救いもし、また桜井から何かを奪っていく――。

桜井の書く曲が「君」の歌から「僕」の歌に変わっていく

「ミスチル現象」--。『innocent world』(94年)以降、ミスチルが次々にリリースしたシングルが相次いでミリオンセラーを記録していた時期には、そんな言葉さえ週刊誌に踊った。その先駆けがドラマ『同級生』の主題歌でもあった『CROSS ROAD』(93年)。曲の完成時に「初めて100万枚売れる曲が書けた」と喜んだ桜井の予言は見事に的中した。以降、出すシングルが片っ端から売れまくる。

以下は日経平均株価の月末値のグラフだ。一目瞭然だが、80年代の終わりから90年代の初頭にかけて、それまで急上昇していた株価が急激に下落している。社内での出世競争や会社同士の競争、受験戦争など、相対的な争いで勝っていても、そのパラダイム(経済においては、景気といっていい)が崩壊すれば、全員が敗者に転落する。そんな事実を突きつけられた日本人が、相対的なものよりも、絶対的なものを求めるようになったことが、おそらく新興宗教の興隆や危うい疑似科学の流行、「自分探し」ブームの発生の根底にあったと僕は思っている。

10years.jpg
バブル崩壊後「失われた10年」にミスチル現象は起こった

その時代の機運に、意識してか無意識にか乗った、あるいはその時代の機運を牽引したのがこの時期のミスチルというバンドではなかったか。それは特に、歌詞の変化に見て取れる。大きくいえば、「君」の歌から、「僕」の歌へ、という変化だ。

「ミスチル現象」期以前のシングルでもっとも人口に膾炙していると思われる『抱きしめたい』では「出会った日と同じように霧雨けむる静かな夜」という<いま>と、「人波で溢れた街のショウウィンドウ」という<ここ>が、Aメロの中ですでに明らかにされる。その<いま/ここ>を舞台に語られるのは、ショウウィンドウに見とれる「君」だった。

デビューアルバム『Everything』に納められた7曲中、実に6曲の歌詞の中に「君」が現れる。

「ロード・アイ・ミス・ユー」では、引き止めても出て行ってしまう「君」。

途切れた受話器ごしの声/最後の言葉を探して/さよならだね引き止めても/は出ていく

「Mr. Shining Moon」では、自作の歌を何気なく鼻歌で聞かせる「君」。

眠らずに作った歌をほら/鼻歌で歌うよ知らんぷりで/届くかなこの気持ち/笑った時のが/誰より好きだよ Woo あの雲に乗って旅に出かけよう/真夜中にそっとの手をとって/今すぐさらいに行くよ 一人きりに逢えない夜は/月影のソファーに腰掛けて/夢見せてまたの香りで目が覚める朝を/ありがとう Mr. Shining Moon

「君がいた夏」は題名そのまま。

夕暮れの海にほほを染めたが/誰よりも何よりも一番好きだった/二人していつもあの海を見てたね/日に焼けたお互いの肩にもたれたまま/一日中笑ってた

「風~The wind knows how I feel~」では、「本当のことを知ってる」という風に「君」と呼びかける。

ビルの谷間走り抜けて/風は空に舞い上がる/は何を見てきたの/その透き通る体で

「ためいきの日曜日」では、遠く離れて思いが届かぬ「君」。

Oh my Darin' 白い雲を窓から眺めるたび/遥か遠く逢えぬへ想いつのる

「友達のままで」では、友情が愛情に変わったことで関係が壊れることに泣く「君」。

友達のままじゃいたくないと/きりだした僕を見て/もうこのままじゃいられないと/は急に泣き出した

『Everything』は、曲中に描き出される6人の「君」と、桜井=ミスチル自身の歌『CHILDREN’S WORLD』から成り立っているアルバムだった。6人の「君」は一人として同じ「君」でなく、それぞれが別の<いま/ここ>を持つ物語として描かれる。

ところが『innocent world』の歌い出しはこうだ。

黄昏の街を背に抱き合えた あの頃が胸をかすめる/軽はずみな言葉が時に人を傷つけた そして君は居ないよ/窓に反射する哀れな自分が 愛しくもあるこの頃では/Ah 僕は僕のままでゆずれぬ夢を抱えて/どこまでも歩き続けて行くよ いいだろう?/mr.myself

「黄昏の街を背に抱き合えた」のはあくまで「あの頃」であって、つまりは情景を描写しながらも、実際に歌い上げているのは「僕」の脳裏に浮かぶ思い出であり、心象風景なのだ。その思い出が「胸をかすめる」という「僕」の<いま/ここ>がはぐらかされたまま、「君は居ないよ」と「君」の不在を歌う。「僕は僕のままでゆずれぬ夢を抱えて」と<自分探し>を続けることを宣言し、「いいだろう?」と許可を求める相手は不在の「君」ではなく「mr.myself」、すなわち「僕」自身だ。

ミスチルのシングル最高のヒットとなった『Tomorrow never knows』(94年)はもっと露骨だ。「とどまる事を知らない時間の中で」と<いま>をぼかし、「いくつもの移りゆく街並を眺めていた」と<ここ>を伏せる。

どこでもない場所、いつでもない時間に放り出されたリスナーは、歌の中の物語に感情移入できないまま、その“無重力状態”の中で桜井和寿の「僕」=「mr.myself」に出会うのだ。

そこで立ち現れるサビのメロディラインは、いみじくも桜井自身が書いた歌詞に「いつの日もこの胸に流れてるメロディ」とあるように、誰の胸にも響くほどに豊かで力強い。加えて、サビのクライマックスがヴォーカリスト桜井和寿の高音域ギリギリを狙い定めるようにキーが置かれていることも指摘しておきたい。「またどこかで会えるといいな イノセントワールド」、あるいは「果てしない闇の向こうに oh 手を伸ばそう」と苦しそうに目をぎゅっとつぶって歌う桜井の姿は、求道的であると同時に、「僕」を歌い上げる言葉と結びつくとき、自慰的でありエロチックですらある。

カラオケボックスに行けば、誰もが「桜井和寿」となって熱唱できた。「ミスチル現象」が始まった94年に、昼間なら1時間200円で歌えるカラオケルーム「歌広場」が首都圏を中心に多店舗展開を始めている。カラオケが、場末のスナックで演歌をエコーたっぷりに歌うものから、ニセモノでもお手軽なレジャーとして若者が楽しむものに変化していく時代に、桜井はその最前線を突っ走った。

「僕」のなかにある「es」が曲を書き、歌い、不倫する

この「ミスチル現象」の絶頂期に、ひとつのキーワードが現れる。「es」という聞き慣れない言葉だ。

es3.jpgプロデューサーの小林武史が仕掛けた販促戦略といわれる。シングル『【es】~theme of es~』、映画『Mr. Children in FILM【es】』、書籍『【es】Mr. Children in 370 DAYS』、そしてシングル『everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック』のジャケットに描かれた少年「es君」と、コーラスに参加している「es sisters」。「es」という言葉を、メディアを多展開していく中でキーワードとして据えたのだ。

ミスチルが活動停止へ向かう道を転げ落ち始める一つの遠因が、小林が「ミスチル現象」に追い討ちをかけて仕掛けたメディア・ミックスによる販促戦略だったのだことは、音楽評論家の山下邦彦も指摘している。

濫用される「es」という記号。「記号」だなんて書くと何だかもっともらしいが、実際問題、「es」なんてものは記号に過ぎない。

精神医学者フロイトの仮説によれば、人間の人格(自我)は、生物的・本能的エネルギーに満ちた根源的な衝動「es」によって突き動かされ、その衝動は、良心や宗教的な禁忌、社会通念などによって押さえ込もうとする「超自我」によって抑制される。自我がドライバーだとすれば、「es」がアクセル、超自我がブレーキとも例えられる。

「僕を走らせてくれ/僕の中にあるes」(『【es】~theme of es~』)はもうそのまんま直球ストライクだし、『everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック』で歌われる、デートクラブに通う女子高生、組織の中のサラリーマン、社長の上に跨るタレント志望の女性たちを突き動かすのも「es」--つまり「なぜ」そんなことするの?という問いに対する答えが「es」というわけだ。

で、その衝動「es」だが、後天的に培われる「超自我」とは異なり、そもそもの欲望や衝動がどこから沸き起こるのかを説明できなかった精神分析学者が、よく分からないけどひとまず存在を仮設しておくと説明が便利だというので「es」と名付けたに過ぎず、本来の語義では、英語の「it」、つまり「それ」とか「何か」という程度の意味しかない。

小林は、『innocent world』に詞をつける桜井にこう注文した。

桜井じゃなきゃ書けない、今、桜井和寿が歌うからこそ意味があるような、そうした世界まで、気持ちを開いていく詞でないとだめだ

ここまでは小林は圧倒的に正しかった。桜井は「君の物語」を書くことをやめて「僕の物語」を書き始め、それが多くの人たちの心を掴んだ。しかし同時に小林は、桜井の創造の泉に「es」という安易な記号化を許してしまった。

ミスチルの“御用ライター”である小貫信昭は、『innocent world』を造り上げる課程を『【es】Mr. Children in 370 DAYS』で次のように書き記す。

当時、小林はユニコーンの『すばらしい日々』が大好きで…あの曲からの間接的な影響(=es!)も、ひょっとすると『innocent world』には含まれているのかも…』「カーステレオに、未だ歌詞のないデモ・テープを押し込む。環七を走り、早稲田通り付近に差しかかる。その時、彼の中に、何か(=es!)が閃いた

馬鹿のひとつ覚えのように「es!」「es!」と連呼する小貫も相当に間抜けだが、これも商売、どちらかと言えばお気の毒だ。ただ問題なのは、この次章で詳解するが、「es」によるプロモーション戦略が、自己暴露に徹してヒットチャートの最前線を全力疾走し続けていた桜井の心にぬぐい去りがたい傷を負わせてしまったことにある。

山下邦彦の卓見を引いてこの章を終える。

『es』を自分の中に見つけ、そして『俯瞰』したとき、何かが終わってしまった
※この記事は、2005年11月に「音楽誌が書かないJポップ批評 Mr.Children幸福の探し方」(宝島社)に寄稿したものを一部リライトしたものです。

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コメント

馬鹿のひとつ覚えのように「es!」「es!」と連呼する小貫も相当に間抜けだが

↑連呼してないし。カッコつきでわざとesを連発しているウイット、貴君には伝わらなくて残念。今後、面白く読んで頂ける文章書けるように、精進しますです。ちなみに山下某の本、著者に無断な引用がヒドくて、著作権侵害だと、当時(相当、前だが)版元が抗議したハズだが、僕自身は山下某に、音楽理論に基づいたモノの言い方ゆえの説得力、大いに学びましたです。

by 小貫信昭(2008年05月07日 00:25)

いつの間にか、ブログのデザインが一新していましたな。見やすくかっこよくなりましたね。強力な連載も始まって、今後に期待大です

by 曹操(2006年06月26日 16:14)

なつかしい!!昔のミスチルを聞いていると、甘酸っぱい記憶が蘇ります。音楽と記憶って、なぁーんか結びついてますよね。続編にも期待します!!

by コオロギ(2006年06月26日 13:21)

あー。ムックの記事より充実してる!!

by 小山田(2006年06月25日 10:53)

すごい連載を始めちゃいましたね。タダで読ませてもらっていいんでしょうか(笑

by のりこむX(2006年06月25日 10:10)

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