南国の夏の夜に食べた至高無上のかき氷
2006年08月13日02:10
いよいよ盆である。暑い盛り、我が家では昨年の初夏にアマゾンで購入したツインバード製の電動氷かき機「氷自慢」がフル稼働状態になる。冷凍庫の一般的な製氷皿で作ったブロック型の氷を数個放り込んで、フタをひねるだけ。手動の氷かき機もあったのだが、かき氷を食う前に氷をかくのに汗だくになるので、アマゾンで電動のを衝動買いしてしまった。2000円を切るお手軽価格だが、実に良く働いてくれる。
近所のスーパーで大袋で売っていた「グリーンティ」を使った、抹茶ミルクかき氷が最近のお気に入りだ。「みぞれ」のシロップをかけ、グリーンティの粉末を振りかけ、最後に加糖練乳をにゅるりと垂らして出来上がり。
抹茶の苦みとミルクの甘みが織りなす不思議な調和が飽きさせない。自宅にいながら気軽に食べられるのは実に幸せだ。しかし、小さな無数の氷塊が舌の体温を奪うのを愉しんでいると、いつも思い出されるのが、台湾で食べた無上絶品のかき氷である。
台湾はかき氷王国でもあった
およそ2ヶ月前、担当していた雑誌の休刊が決まり、次の雑誌に異動するまでに少し余暇ができたので台湾に行ってきた。目的は、食うこと。うまいものをとにかく食うことである(いつも通りとも言える)。そこで私たちは2皿のかき氷を食べた。
一つ目は、台北市内でも有名なかき氷屋「冰館」で食べたマンゴーかき氷。実はこの店に行くのはもう三度目だったが、これまでは冬期にしか訪れたことがなかったため、夏季限定のマンゴーかき氷は食べられずにいた。冬期のイチゴミルクかき氷ももちろん旨いのだが、この店の名物はマンゴーかき氷(超級芒果牛泡泡冰)と聞いていたので、いずれは相まみえたいと思っていたのだ。で、ようやく出会えた。
台湾のかき氷は、氷をかいたものに合成着色料たっぷりのシロップを適当に振りかけて数百円取るような日本のそれとは全く別の料理だ。料理、と書いたが、これはもう料理(デザート)だと思う。
さすがは南国、フルーツ王国。ざっくざっくとカットされたマンゴーが無数にのっかっており、そこにマンゴーピューレー、練乳がたっぷりとかけ廻され、さらに氷山の頂上にはマンゴーシャーベットが鎮座ましましている。
路地に面したテーブルに腰掛け、スプーンでその一角をえぐり取って口に運ぶと、舌をキーンと冷やす氷塊の刺激で、けだるい南国の空気に働きを鈍くしていた脳細胞が目を覚ます。覚醒した味蕾と鼻腔の嗅覚細胞が完熟マンゴーの馥郁たる香りと濃厚な甘みを送り込んでくる。おお、至福。自然の甘みであるにもかかわらず不自然にすら思えてしまうほどにマンゴーの甘みが強い。加糖練乳はコクを加えてくれるが、甘みはマンゴーだけでも十分ではないかと思える。それほどに甘い。それでいながら、キーンと冷えた氷を食べるから甘さに舌が疲れることもない。
これだけでも十分に満足していた私たちだが、その日の夜に台北市内最大の夜市といわれる「士林夜市」で出会ったかき氷は、さらに予想を超える美味であった。
実はその日はもうたらふく晩飯を食い、さらに士林で買い食いして、「かき氷を食べたい」という妻に「いやもう腹に入らないよ」と応じていたのだが、結局は妻が7割、私が3割食うというかたちで「それならば」と折れて店に入ったのだった。
店の名前は失念した。士林夜市の入り口にある共同屋台施設にある、元気なおばちゃんがやっているかき氷店である。士林夜市は規模が大きく、賑やかで楽しいが、その反面、観光地化している部分もあって、必ずしも「安くて旨い」という店ばかりが集まっているわけではない。だから私は正直言ってこの店にそれほど期待していなかった。
しかし、椅子に座って待つ私たちにおばちゃんが運んできたのは、そんな予断をあざ笑うかのような、至高のかき氷であった。
氷塊、という表現ではこのかき氷を表すことはできない。もはや氷であったことを忘れたかのようなきめの細かさである。口に運び、舌に乗せるや、ほろほろと瞬時に溶けていく。あまりに瞬時に溶けるから、かき氷特有のキーンとした鋭い冷たさというものを感じるいとまがない。上質のシャーベットのような食感である。
秘密は2つある。ひとつは氷を削るカンナが相当に薄刃に調整されていること。また、刃がよく研がれていること。カンナの刃は大きく出した方が早く削れるので、かき氷屋は数をさばくためにはなるべく大きく刃を出しておく。すると、削り出された氷は荒くなる。この店は、氷のきめを細かくするために刃をあまり出さずに薄刃にしている。時間はかかるが食感は抜群だ。また、研がれていない刃は氷をきれいに削らないから、氷がよく欠ける。かき氷に大きめの氷塊が混じっている場合、氷りかき機が手入れされていないことが多い。この店のかき氷には氷塊が一粒たりとも混じってはいなかった。
もうひとつの秘密は、氷の材料である水にある。実はこの店の氷は水を凍らせたものではない。ミルクや果汁を混ぜたもの(乳脂肪分や果汁の香りを含んだフルーツ牛乳のようなもの)を凍らせているらしい。かき氷の難しいところは、食べ始めてしばらくすると、氷が溶けて水っぽさが増していくということだ。それも含めてかき氷、とも言えるが、それならば溶けても旨いものを凍らせておけばいい、という発想はコペルニクス的ですらある。
しかし牛乳を凍らせておけばいい、という単純なものでもないはずだ。脂肪分を含んだものを凍らせようとするとき、水と脂肪とでは凝固点が異なるので、どうしても分離してしまう。それを避けるためには、脂肪を均質化(ホモゲナイズ)した状態で、瞬時に冷却して一気に凍らせる必要がある。家庭の冷凍庫はもちろん、一般の製氷装置でやってもうまくいかないだろう。脂肪分を調整し、高性能の製氷装置で氷を作っているものと思われる。
理屈はまあいい。とにかく食べようじゃないか。
研ぎ澄まされたカンナで丁寧に削っていく。削られた氷は、まるで織物のように繊維を折りたたんで積み重なっていく。南国の空気に触れて表面から溶けていくから、絹織物のようなその美しい様子で目を楽しませ得るのが許されるのはほんの数秒だけだ。見る見る姿を変えていくその刹那の楼閣に、私たちは匙を入れ、舌に乗せる。
瞑目、そして無言。
ここで感想を長々と書いてもどんどん嘘くさくなる。ただ、「妻が7割、私が3割」と話していたはずの私は、満腹だったことも忘れてひたすら匙を口に運び続けた。7割と3割が逆転し、しかも「もう一杯いくか」と尋ねて妻を呆れさせたことだけを書いておこう。「氷自慢」で自家製かき氷を食べながら、そんな南国の気だるい夏の夜を思い起こしている。
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コメント
これから台湾いってきます!
かき氷の店の名前、つきとめてきます!!
うーまーそーーー。ただいま福岡帰省中。あちいよ本当に